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『銀河系』のお話し (6)天の川よ 日本海の荒波を 鎮めておくれ

「銀河のお話し」の続編です。
カバーの全天写真は「2ミクロン・オール・スカイ・サーベイ」の成果です。https://www.ipac.caltech.edu/2mass/gallery/images_misc.html

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。

荒海や佐渡に横たふ天河

輝明は今日も真面目に天文部の部室に立ち寄った。部室のドアを開けると、優子がもう来ていた。
「おっ、早いね。」
「はい、最近は放課後になると、部室に直行です。」
「感心、感心。だいぶ天文熱が本格化してきたかな?」

ところが、輝明の予想は外れた。
「今日は、前回話に出てきた松尾芭蕉の俳句について質問があります。」
うーむ、こう来たか・・・、と思ったものの、輝明は優子の話に付き合うことにした。
「荒海や、だね?」
「はい、そうです。」

優子は黒板にその俳句を書いた。

荒海や佐渡に横たふ天河

「僕も大好きな一句だ。オリジナルは優子が板書したように「天河(あまのがわ)」になっているようだ。これは天の河、天の川のことだ。」
「調べてみたんですが、この句は江戸時代、元禄二年(一六八九年)七月四日(現在の暦では八月一八日)、越後の出雲崎で詠まれたとされています。出雲崎は行ったことがないですが、新潟県の海沿いの町です。」
「僕も行ったことはないけど、新潟市の南の方にある町だと思う。」
「ここに地図を持ってきました(図1)。」

図1 出雲崎から佐渡を見ると、北北東の方角に見える。 (Google mapを用いて作成)

天の川が佐渡に横たわることはない

「やっぱり、新潟市の南だね。」
「出雲崎から佐渡を見ると、ほぼ北に見えます。」
「うん。それで?」
「そうだとすると、天の川は佐渡に横たわることはないんじゃないかと・・・。」
「たしかに、そういう指摘はいろんな人がしているようだよ。」
「じゃあ、芭蕉は実際に見た光景を詠んだわけじゃないんですね。」
「芭蕉に同行していた曾良の日記によれば、出雲崎を旅していた頃は雨模様の天候だったとのことだ。優子の言うとおり、これは芭蕉が見た景色ではないと思うよ。」
「仮に晴れていたとしても、天の川は佐渡に横たわることはないんじゃないかと・・・。」
優子は同じ指摘を繰り返した。そこで、輝明は優子の意図を理解した。

「なるほど、優子の言うことはわかった。天の川が北の方角に横たわることはない。そういうことだね。ちょっと、調べてみよう。」
輝明はパソコンを出して、何やら調べ始めた。

しばらくすると、輝明はスライドを見せてくれた。
「優子、これを見てごらん(図2)。」

図2 2023年8月中旬21時頃の東京で見る夜空の様子。黄色の点線で囲んだエリアに天の川が見える。 (国立天文台 https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2023/08.html)

「これは国立天文台が提供している2023年8月中旬21時頃の東京で見る夜空の様子だ。天の川は黄色の点線で囲んだエリアにある。東京も出雲崎も緯度はそう変わらないから、出雲崎でもこんな感じで見えるはずだ。」
「全然、横たわっていないですね。天の川は南北方向に伸びています。」
「そうだね。佐渡、つまり出雲崎から見て北の方に横たわったというのは、こういう場合だろう(図3)。」

輝明は次のスライドを見せてくれた。

図2 2023年8月中旬21時頃の東京で見る夜空の様子。出雲崎から見て天の川が佐渡に横たわるには、黄色の点線で囲んだエリアに天の川が見えなければならない。しかし、現実にはこういうことは起こらない。 (国立天文台 https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2023/08.html)

「これなら「佐渡に横たう」ですが、こういうことは起こらないですね。」
「そのとおり。結局、芭蕉が見た景色ではないと考えるしかなさそうだ。」
「でも、それでいいんでしょうね。だって、ゴッホの『星月夜』の絵だって、夜空には存在しない大きな渦巻が描かれています。」
「そうだね、ゴッホはゴッホの心の目に見えた景色を描いたんだろう。それと同じで、芭蕉の目には「佐渡に横たう」天の川が見えていたということだね。」

註:ゴッホの『星月夜』については以下を参照して下さい。
「ゴッホの見た星空(2)《星月夜》の星空https://note.com/astro_dialog/n/n7e5788762bc9

「横たう」は他動詞だった!

「あっ! そうか・・・。」
輝明は何か思いついたようだ。
「ちょっと待ってて。図書室で調べ物をしてくる。」
輝明は呆然とする優子を残して、慌てて部室を出ていった。

しばらく待っていると、輝明が戻ってきた。
「優子、わかったよ。」
「えっ、何が?」
「「佐渡に横たう」天の川の謎が解けた。」
「小澤實さんという人が書いた『芭蕉の風景』(ウエッジ、2021年)という本があるんだ。上下巻になっていてすごい本だ。この前、本屋さんで見つけたんだけど、買いはしなかった。ひょっとして、と思って図書室に行ったら、あった。」
「その本には何が書いてあったんですか?」
「うん、驚くべきことが書いてあった(下巻、113頁)。なんと「横たう」は自動詞じゃなくて、他動詞だったんだ。」
「ええーっ!!! ということは・・・。」
「そうだよ、天の川を横たえるんだ。天の川が自ら横たわる光景じゃない。」

「どう解釈すれば・・・。」
「たぶん、芭蕉が見た光景は荒れ狂う日本海だ。海が荒れると、困ることはたくさんある。そもそも佐渡への行き来ができない。それから漁師さんも船を出せずに困る。そこで、芭蕉は願った。

天の川さん、天の川さん、お願いだから日本海をなだめてくれませんか。お姿、お借りします。そう言って、天の川を日本海の上にそっと横たえた。これが佐渡に横たう天の川だ。

どう?」
「部長、すごいです! サブトン一枚!」
「・・・。」

<<<これまでのお話し>>>

『銀河系』のお話し(1) 僕たちの住んでいる銀河は,なぜ『銀河系』と呼ばれるのか?
https://note.com/astro_dialog/n/n45824f0b6272

『銀河系』のお話し(2) 宮沢賢治は,なぜ『銀河系』という言葉を知っていたのか?
https://note.com/astro_dialog/n/nfcea0e50e032

『銀河系』のお話し(3) 『銀河系』という言葉はいつから使われていたのか?https://note.com/astro_dialog/n/ne316644c6000

『銀河系』のお話し(4) 『銀河系鉄道の夜』はないが、『天の河鉄道の夜』はあり得た?
https://note.com/astro_dialog/n/n7bf892c43a0c

『銀河系』のお話し (5)『銀河鉄道の夜』への道https://note.com/astro_dialog/n/n52a4e930ce47


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