![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/126270604/rectangle_large_type_2_dd5e5c35e6be26f8947e5436d399ad94.png?width=1200)
ASTROSCOPE 2023ねんまとめ日記
おしまいにしたつもりは全くなかったけど、おしまいぎみだった年賀状を数年ぶりに書いた。
久々に握るボールペンが重い!そして字がすべってガタガタになる。ついでに文章力も相当ガタがきている。このフリースタイル瓦版もどきを始めた頃ーーー高校生のスタミナはおそろしい。ついでに内容を見返すのも、おそろしい。いくつか「よくかけた」と思えた回もあるのだけど、たいていは見返すのにちょっと勇気がいる作文たちである。
年賀状じまいを出したあと、やっぱりもう一度年賀状を出すと、「復活年賀状」と呼ばれるらしい。ずいぶんサボっていたここ数年で、変わったことがたくさんある。
1年前に帰国し、次の日に元旦を迎えた。久しぶりに帰省した実家で、過ぎた時間が目の前に現れた気がした。
実家を出てから各地を転々としていたので、久々に対面であった家族の老い、疲弊、時間のことを予測していたが、いざ目の前にしたときに、その現実に相対しているということ自体が何よりも衝撃だった。
数年ぶりの豪勢な正月料理を前にして、何度か泣いた。家族も泣いていた。久しぶりに食べた出前寿司の味が全く分からなかった。
その3か月後に、カウンセリングに行った。休学した。
あのまま生きていたら今頃、生存できなかったと思う。
休学中なんて何でもできるじゃない、時間がたくさんあるね、なんて声をかけられたことも幾度かあったが、自分が休学中何をやっていたかといえば、あらゆる病院に行き、くたばりかけの体をひたすらひたすらメンテするだけだった。
あとはやっぱりずっと、消費するばかりで資本的には特に、あんまり役に立たない命をやっていた。
人生が80年だとして、4分の1以上の時間が過ぎ去った。20歳になってから今までの時間では、寝ている時間の方が多いかもしれない。朝起きたときの絶望、夜寝る前の不安のサンドウィッチが蝕んだ心身は不健康そのものである。心身が不健康で、ほとんど寝ていて、いてもいなくても腹がすくので一食食べて、寝る。
生きているんだか死んでいるんだかよくわからないまま、気づいたら12月になっていた。少しずつ、一つ治っては二回倒れるといった具合に。
自分のことも周りのことも遠い場所のこともすべてがどしゃりとのしかかり、目の前が何度もぐちゃぐちゃになったがそれでも明日が来て気ままにご飯を食べ、寝る。こんな状態で本なんて読めるわけがないし、しかし世界が刻一刻と進んでいくdoomから目が離せず焦りだけが胸元をなんどもstabしていく。
就活だの勉強だの進路だの、なんにもしていない。本当に何もしていないので、来年困るのは自分だが、これは遅かれ早かれ起こる「何もしない」という時間だったのだろうと思う。
人によっては、毎日外へ出ずに気ままにパンを焼いたり、油絵を描いてみたり、太陽の塔の内部を見学したり、岡本太郎の本にはまって(すべてはタローマンのせいなのでタローマンを見てください)それだけは読んでみたり、そういう時間は「何かしている」に分類されるだろうとおっしゃる。その通りだと思う。
就活も院活もほどほど(というかほとんどやらず)に、パンを焼いたりピザを焼いたり、ドーナツ揚げたり、角煮を作ったりした。油絵を出品して話題のギャラリーストーカーもどきに遭遇したりもした。タローマンにはまりすぎて、べらぼうにでたらめな岡本太郎の言葉を吸収しては「~と、岡本太郎も言っていた」と岡本太郎名言bot?になってもいた。次々と進路が決まっていく同世代の友人たちと話す中で、とある夜、急に目の前が開けて(打開のよるだ!!!)と新都心を走ってみた日もあった。あれはここ数年でも屈指のハイライトだった。駅から家まで、無心で歩いて帰った。
それ以外の特にどうでもよくて何でもない日には、好きな配信者の配信をつけっぱなしにし、好きな音楽を聴く。誰かの犠牲、消費の罪悪感、何度もド真っ暗闇の中に突き落とされるような不安や念慮におぼれながら、矛盾する嫌悪感に引き裂かれながら、画面越しの死に震えながら、食べて、寝る。
帰省直前も高熱で吐いたり歯肉炎が悪化したり、踏んだり蹴ったりだったが何とか帰還した。反動か、ここ数年で一番よく食べた年末年始になった。共同生活する人間がいるとイベントが発生する。
数年前の12月31日は寝て過ごしていたら、気づいたら1月1日になって、結局元日も普通に寝ていた。普段月末と月始まりなんて気にかけもしないだろうに、この時だけは妙に「年越し」の異様なまでの盛り上がりを感じた。不思議な体験だった。
誕生日だのイベントだのはかかわりあう人間がいるから発生するのであり、本当に人間とのかかわりを絶つと毎日が同じ、食ってちょっと動いて寝るだけになる。この堂々巡りな、ひょっとすると何も変わり映えのない一日×無限が時間の感覚をおかしくさせていくのだが、それが他者により改めて可視化されたときの衝撃は、このループと響きあって何倍もの力で、自分を打ちのめしてくる。
味のしなかった寿司を明日も食べることになるだろう。実はいまだに生魚を食べると味がしないと感じる。あの日、全く味のしなかった刺身、寿司の味。留学先では満足に魚を食べなかったため、その前の年に漁港で魚の味を覚えてしまったために、躍起になって刺身と寿司をたらふく食べようとした一年だったけど、あんまり満たされなかった。来年はもっとおいしい寿司を食べたい。
流れ的にmy new year resolution timeが唐突に来てしまったので、思いつくまま打ち込んで脈絡もあんまり気にしていない手をそろそろ着地させようと思う。いつも以上にグダグダな文章になってしまい、後でまた見返すのがおそろしい回になっているだろうな、と今から覚悟している。
とりあえず来年もちゃんと生存したい。先日、インスタで開いてみた『備忘年会』なる生中継cringeおしゃべりスペースにて、今年のキーワードを「戦争、フェミニズム、むだ」と挙げてぺらぺら話して、そうしたら一緒に話してくれる方もいて、ドキドキしながら、共に話して考える場を持てたことに感謝した。(今回のASTROSCOPEで扱っている内容は三番目の”むだ”をちょっと掘り下げ、補足したもの)来年もお話の場を設けられたらうれしいな。
戦争も、フェミニズムも、まだまだ知らないことがたくさんありすぎて、いまだに話すことに躊躇がある。話したいのだけど、まだ言葉を持っていない。中途半端なことを言いたくない。でも必ず、獲得する。その気持ちは2023年後半にかなり強くなったし、その気持ちが実際自分を動かし始めている。まだまだ、近くでも遠くでも怖くて言葉が出ないことはたくさんあるけども。
さて、あともうちょっとで2024年になる。すこやかで、人間らしく生きるぞ。
皆様もどうぞご自愛ください。
良いお年を。