ASTROSCOPE #47
ルーティンをやめると、戻すのにこんなに苦労するなんて。これが何番目のASTROSCOPEなのかもわからなくなってしまった。5ヶ月ぶりの更新らしい。
自律神経との二人三脚がどうにもうまくいかなくなってコケているうち、10月になってしまった。2023年、佳境に入りつつある。先日MRIを取り、脳波を調べ、わかったことは脳がきれいで正常ということだった。祝・健康。
つい最近まで、自分の中の時間が年末年始ーーーちょうど留学が終わって帰国した時期で止まっていた。留学で起こった様々を消化するのに、留学期間とおなじくらい時間を要するとは。スローさに腹立たしく思うやら、自律神経のバグり散らかし具合を考えるとどうしようもなかったような、やりきれない気持ちである。
一寸先の闇の中を無限に行き来しているような状態からようやく抜けて、怒りいらだちにも似たやる気でみなぎっている。ようやく、なんとなく自分がやれることを、一生懸命やろうという気になってきた。
そうして、しばらくぶりに故郷へ戻った。
毎回帰るのが嫌で、しかし帰るたびにだんだん居心地がよくなり、再び一人の暮らしに戻るつらさを思うたびに腰が上がらなくなる。長期間の滞在は避けていた。
偶然長期間の滞在を強いられ、家を出てから今までの間で一番長い滞在期間となってしまった今回、最初は不安しかなかったものの、あっという間に過ぎてしまい拍子抜けしている。一人に戻った時の反動が怖いくらい、長い帰省である。
帰ってから人に会って、話して、考えて、を繰り返していた。ここ数年で一番人に会った。
しばらくぶりにあった人、つい最近会った人、どうしてもずっと会いたかった人、幼馴染、初対面、多くの人々と。
ソーシャルバッテリーに不具合をきたしている自分にとっては相当珍しく、毎週誰かと会っていて、独り暮らしの中でどれだけ語彙を腐らせ、思考を煮詰まらせてきたかを改めて実感した。危うさである。
“何にもない”地元を捨てて家を出て、ついでに国も出て、根無し草生活にすっかりなじんでいた。
しばらく帰らずふらふらしていたら4年も経ってしまい、そこには年を経てゆっくりと、しかし確実に変化した地元が出現していた。
大人びる。羽ばたいていく。
ボケていく。老いていく。
一生懸命生きている。
門出に立ち会う。
働く。
考える。
時間の重みがズシリとのしかかった。反省も後悔もない、ただただ、圧倒的な時間の速度に心が置き去りになっていた。時間がない。焦りが言葉を鋭利にし、深々と骨の髄まで突き刺さる。ボロボロの足でここまで帰ってきて、話を聞いた。
苦しみも、喜びも、こんなに自分事として出会う。地元に帰る怖さだ。
みんなここまで歩いてきた、4年を生きてきた人々がそれぞれの記憶を背負いながら目の前に立ち現れる。その頑張りと歩みに感激し、悔しくなり、尊敬した。
高校を卒業してから、なんとなく人生の目的を全部達成してしまったかのような気でいた。漠然と余生を過ごしているような、目的の特にはっきりしないレールの上にいた。コロナ禍のぬかるみに足を取られ、言い訳をいくつも目の前に積み上げてきた。自分はもっと生きることに真剣に、一生懸命になれるのではないか?
何とか生活してきたことには自信が持てる。日々の生活者であるという自覚はでてきて、そこに責任を負えるように生きなければと感じる。飯を作りごみを出し、服を洗い部屋を片す。
この足で、自分自身もまた歩いてきた。
これからもこの足で歩かねばならない。誰かに任せることはできない、自分の人生。
誰かに説明をしなくちゃいけない、証明しなくちゃいけないのが馬鹿らしくて怖くて逃げていたが、こうも生きていると、だんだん怒りにも似た自己証明が芽生えてきた。みんなのそれぞれの人生を聴き、一生懸命さに共鳴するたびに、そうだ、これが人生だ!と勇気を奮い立たされるようだった。
そんなわけで、これからも一生懸命生きることにしたのである。過去でも未来でもなく、今を一生懸命に生きる。真剣にふざけ、苦しみ、悲しみ、喜んで生きたい。
なんの宣言やら、つぶやきの延長線上のお気持ち表明になってしまったが。大体振り返るのが怖いような回はろくな文章を考えついていない回だが取り急ぎ、かんわからの脱却!
これからもよろしくおねがいします。