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稼がない投資(下書き)
将来的に自費出版して自己満足するための書き溜め。
語句、文章、てにをはの乱れ、誤字脱字はご愛嬌ということで….。
第一章 お金って何だ?
このページを開いたあなたは少なくとも投資に興味がある人物でしょう。そんなあなたに問いたい、「あなたにとってお金ってなんですか?」
「いや、そんな哲学か禅問答みたいなことを知りたいんじゃないんですけど」と思った方もいるでしょう。しかしながら、納得できる投資を実践するにはこの価値観を明確にしておくことを私は勧めています。
大変申し訳ないのですが、しばらく私の自分語りにお付き合いください。
私は大学院生時代に日本学生支援機構から第一種奨学金を借入していました。第一種は無利子ですから、とりあえず上限一杯まで借入れて銀行の普通預金に置いておいたのですが、思ったよりも生活費が安く上がり当時の価値観ではそれなりにまとまった金額が通帳残高に記載されていました。その時、私は思ったのです。
「何かもったいない気がする。」
経済学はおろか利回りという言葉すら知らなかった当時の私にしては良い直感です。
当時は積立NISA黎明期であり、少額個人投資家を始めやすい土壌が整いつつありました。そんな流れで投資の世界に足を踏み入れた訳ですが、当初は初心者らしく毎月1000円程度の投入でヒヤヒヤし、5円10円程度の値下がりでビクビクする可愛らしい個人投資家でした。今となっては一日で5万円10万円程度値下がりするようなことがあっても昼下がりのアフタヌーンティーを楽しむ余裕すらありますが、1円たりとも損をしたくなかった私はここから一般的な投資の勉強を始めました。ドルコスト平均法、世界経済成長率、為替リスク、利回り…..本ごとにさまざまな視点で最も儲けられる手法を提案してきますよね。情報過多になったこと、それがその疑問が生まれる原因だったのかもしれません。
「お、金?...これは何だ?儲け…る?投..資?何が何で何を何と何何々々…」
価値観が崩壊した。
主観的にはこの日、私は一度死んだと思っています。お金という概念に疑問を抱いてからというもの目に映る全てが何か違った物に見えるようになりました。この哲学的な問いに答えを求め、餅は餅屋しかり私は経済学に助けを求めることにし、経済学の歴史を辿る旅へと出かけました。アダム・スミス著『国富論』、カール・マルクス著『資本論』、ジョン・ケインズ著『雇用・利子および貨幣の一般理論』、トマ・ピケティ著『新・資本論』どれも20%程度しか理解できませんでしたが、彼らの思想・想いを受け止めることができたのではないかと愚考しています。国富論から新・資本論に至る過程の中で理論や提言は逐次変化していきましたが、時代が違えど彼らには共通する価値観があったように私は感じたのです。
「人は尊く、金に殺されるべきではない」
現代でも多くの人々がそうであるように、金のために生き、生殺与奪を金に握られている人が存在している。そして、それはほとんどの場合、本人が望んでいるわけではない。このような人々をどうにかして救いたい、少なくとも金なんかに殺されるようなことを無くしたい。
あくまでも私個人の感想であることを念押ししておきますが、このような叫びにも似た想いを私は彼らの著書から感じたのです。
私はこの経緯を経た上で、「私」と「お金」この関係に答えを見出すべく今日も自問自答を続けています。
さて、自分語りが長くなりましたがいかがでしょうか?漠然としたお金という概念に対して少し解像度を上げたくなったのではないでしょうか?
では、もう一度聞かせて下さい。
「あなたにとってお金って何ですか?」
第二章 価値と貨幣のシーソーゲーム
第一章では社会的に漠然と受け入れられているお金という概念に対して、読者に疑問の種を植え付けることを試みました。本章ではその種への養分として、お金の一般的形態の一つである貨幣と価値との関係を先人たちの言葉を借りて再検討してみようと思います。
第一節 貨幣へと続く道
まず、貨幣の特性について現状把握していきましょう。
資本主義経済を基本とする現代において、貨幣は一般的に次の機能を有すると考えられています。
・交換性:貨幣と他の商品との取引を完了させる機能
・保存性:時間経過による当該貨幣上の量的変動を固定する機能
・価値尺度:当該貨幣以外の商品を当該貨幣を用いて定量的に示す機能余談だが、近年では貨幣の自己増殖性を機能として捉える考え方もある。
貨幣は経済取引を容易にするために誕生した人類の英知の結晶ともいえる存在でした。というのも、人類は当初「物々交換」でのみ経済取引を行っていたと考えられており、物々交換の取引を完了させるためには「自身が求める商品を保有する相手が取引に応じる気があること」「相手が求める商品を自身が保有しており取引に出しても問題がないこと」「自身と相手との間で差し出す商品と受け取る商品が等価であるとする合意がなされること」この3つを全て同時に満たす必要があります。これは明らかに大量のリソースを取引行為そのものに費やす必要があり、個人間で毎日のように取引を行うには無理があります。しかしながら、取引自体は非常に便利な行動であるため、どうにか取引行為に必要なリソースを最小限にしたいとご先祖様たちは考えました。そしてあるとき、貨幣取引の前身となる「物品交換」による経済取引が誕生しました。物品交換とは物々交換のように欲しい商品を直接自身の商品と交換するのではなく、一度自身の商品を不変的な商品と交換し、再度不変的な商品を欲しい商品と交換する仕組みを指します。
突然「不変的な商品」という言葉が登場し混乱させてしまいましたね。具体的に不変的な商品の例を挙げると、金(ゴールド)や銀などの貴金属が分かりやすいでしょう。例えば、今あなたはリンゴを100個保有しているとします。そして、この保有するリンゴの内75個を魚、シルク、香辛料と交換したいと思っています。しかし残念ながら、村にはリンゴを欲しい人は居ても、魚、シルク、香辛料を交換したいと思っている人がいません。このまま交換できる人が現れなければ、100個のリンゴの内75個は自分で消費しきれずに腐ってしまうでしょう。また、リンゴを欲しがっていた人も手に入れることができず誰も幸せになれません。
「そんなお困りをお持ちのあなた!その問題、金で解決しましょう!まずお手持ちのリンゴ75個をこちらの金と交換してみましょう。確かに今はお求めの商品を手に入れることはできません。ですが金はリンゴと違って腐りませんので、後日村にお求めの品が入ってきた際にこの金と交換すればリンゴを無駄にせず、かつお求めの商品を手に入れることができるのです。もちろんこちらの金をそのまま宝飾品としてお使いになるのもご自由です。いかがでしょうか?お客様?」
貨幣の機能である「交換性」「保存性」「価値尺度」これら三つを同時に満たす不変的な商品を経済取引に組み込んだ物品交換の発明は、人類の発展を大きく加速させ、経済取引を活性化させていったと考えられています。
お待たせしました、ようやく貨幣の登場です。
人類が物品交換に慣れてくるとある不満が生まれました。
「これさぁー重いんだけど」
そうなのです、不変的な商品として金、塩、布などが用いられていたのですが、大量に商品を買い込んだり高価な商品を購入する際は当然大量の金、塩、布などを持ってくる必要があります。当たり前のように大量に持ち運べばメチャクチャ重くなるのです。このような状況に直面すると人類はだいたい横着をしたがります。そんな人類の怠惰な特性から生まれ落ちたのが「貨幣」です。
「このコイン一枚で塩10㎏と交換できることにした。」
不変的な商品と貨幣を結びつけることで何の機能も有しない銅の切れ端が塩や金と同等な商品として振る舞うことを多くの人々が合意し、ここに人類の英知の結晶たる「貨幣取引」が成立しました。
ここまでで貨幣の特性と誕生までの歴史を把握してきました。
さて、この貨幣に「価値」はあるでしょうか?
第二節 価値に至った道
始めに断っておくと貨幣という概念の発明には形容しがたいほど価値があると私は考えていますが、ここではいわゆる経済学的なカテゴリーで使用される「価値」という意味合いに限定しています。価値の意味合いを経済学に限定したとしてもその意味合いは多岐に渡りますが、ここでは偉大な先人たちの考えを確認していきましょう。
経済学の父アダム・スミスは「労働こそが価値の根源であり、とりわけ食料生産業に関わる労働は最も重要である。※意訳」と『国富論』で述べています。これは詰まるところ、
「人は食べ物が無ければ死ぬ」
生物の原理原則から自然に導かれる結論です。
もし、人間一人が年間に生産可能な食料が、人間一人が1年間に消費する分しか生産できないのであれば、人類は一人残らず農業/漁業又は狩猟を生業とするでしょう。
もし、人間一人が年間に生産可能な食料が、人間10人が1年間に消費する分生産できるのであれば、残りの9人は食べ物には困らないので、食料生産以外の労働を選択できます。その労働は養蚕でも良いし、木こりでも良いし、家事でも良い。しかしながら、最終的には食料生産者から与えられる食料に見合う対価を労働によって支払えなければなりません。故に「労働こそが価値の根源」と言われ、一般に「労働価値説」と呼ばれます。
カール・マルクスも大筋ではこの思想をベースとして、「商品の価値はその商品を生産するために費やされた社会的平均労働力量である※意訳」と『資本論』で述べています。
価値に物質的な意味を持たせる物は、多くの場合商品と呼ばれます。そのためマルクスは商品を起点として価値の定義を分析しました。そのほうがイメージしやすいですよね。
商品には使用価値と交換価値の二種類があります。使用価値とは商品を使用することによって得られる効能を示します。水は喉の渇きを潤し、麦は飢えた身体に栄養をもたらすなど….それぞれの商品固有の価値です。
交換価値とはその商品をそれ以外の商品とどのような比率で交換可能かを示します。1ガロンの葡萄酒は10ポンドの大麦と交換可能、1㎏の製鉄は1㎡のシルクと交換可能など….全ての商品に共通する価値です。
マルクスは「なぜ全ての商品に共通する価値が存在するのか?」と考え、商品固有の価値を除外していき、最後に残った全ての商品に共通する要素を「労働力」と考えました。
・交換価値は商品の交換比率を示す
・交換価値は全ての商品に共通する価値
・全ての商品に共通する要素は労働力
この3つからマルクスは以下のように考えました。
「商品の交換比率は商品に込められた労働力の比率と等しい」
1ガロンの葡萄酒は10ポンドの大麦と交換可能として、葡萄酒を1ガロン生産するのに1000時間分の労働を行ったならば、大麦を10ポンド生産するのにも1000時間分の労働が費やされたであろう…といった具合です。
交換比率は労働力比率と等しいのだから、結局のところ交換価値の根源は労働であり、アダム・スミスの思想を追随する結論となったのです。
ここまでで価値と貨幣のバックグラウンドを確認してきました。
ここからは、両者を繋げる「価格」を確認しましょう。
第三節 価格の交差点
経済学の分野で価格を語る上で、需要・供給曲線に触れないわけにはいきませんが、このページを開いているあなたに需要・供給曲線を今さら説明する必要はないでしょう。前節でも登場したアダム・スミスは需要と供給の関係によって価格が自動的に決まる市場原理を「神の見えざる手」と表現しました。価格は自由市場においては一個人の力では制御することはできず、正しく神の力のようにその値は予測不可能に上下します。
価格とは貨幣と商品の交換価値比率を当該貨幣建てで表現したものとみなすことができます。ある商品の価格が上がるということはその商品の交換価値比率が上がる、もしくは貨幣の交換価値比率が下がるということです。
しかしここで矛盾が生まれます。
商品の交換価値比率は労働力比率と等しいはずだから、商品の交換価値比率が上がったら、その商品に込められた労働力も大きくなったことになります。当然、既に完成され店頭に陳列される直前の商品に新たに労働力を込めることはできません。にもかかわらず、価格はなぜ変動するのか?
労働力も商品の一つであり、それに時給というラベルが貼りついているからです。貨幣の交換価値比率が下がれば、実質賃金維持のために時給は引き上げられ、連動して商品の価格は上がります。商品の需要が高まり価格が上がるとき、生産現場では平時と比較して過酷な労働が絶えず続くため、より多くの労働力を必要とし割増賃金や人材確保のために時給を上げることになります。既に労働力を込められ終わっている商品であっても、当該商品の社会的平均時給が反映された価格として店頭に並ぶようになるので、全ての商品の価格は自由に変動するのです。日本人労働者は無給労働という論理の特異点を初手で放ちますが…
上記はあくまで一例ですが、労働力、商品、貨幣の三者を価格を用いて表現することで「労働価値説」と「神の見えざる手」を交らわせることができました。
価値の根源たる労働力と貨幣を価格を用いて交らわせることで、貨幣にも価値があるように人々の目に映るようになりました。
しかし、貨幣の出自に立ち返るとその紙切れや金属片に込められているのは価値(労働力)ではないことが明らかになります。
第四節 経済環状線
貨幣はそもそも人類の怠惰な特性から生まれ落ちた仕組みです。
楽をするための仕組みなのですから、一枚一枚を金細工職人が手彫りするような労働力は込められません。一方で貨幣はその生産で込められた労働力よりも高い価格で取り扱われる場合がほとんどです。
このギャップを埋める要素は貨幣の出自に隠されています。
なぜ、貨幣は多くの人々に、無根拠に価値があるという合意形成がなされたのでしょう?
そう、「信用」です。
我々人類は根拠がなくとも、そうした方が自分にとって都合が良いとき、信用するのです。友達との貸し借りもお店へのツケもクレジット決済も突き詰めれば根拠など存在せず、信用で回っています。
つまり、貨幣に込められている価値らしきものは労働力ではなく、信用力だったのです。
経済活動とは取引を行い価値の形態を変え続けることのように我々の目には映っていますが、実のところは価値(労働力)と貨幣(信用力)を交互に入れ替えるシーソーゲームこそが貨幣取引を主体とする現代経済活動の真相だったのです。
貨幣に価値はなく、信用だけがそこにある。
あなたはこの言葉をどう解釈しますか?
第三章 増殖する信用と減衰する労働
前章で価値と貨幣の正体を解明することで、お金に対する漠然とした疑問への一定の解を得ました。(私個人がそう思ってるだけです。)
本章では資本主義的経済環境を改めて確認し、価値と貨幣の正体に肉付けを行い、これらの機能ともたらす結末を検討します。
第一節 利子との遭遇
あなたは銀行に多かれ少なかれお金を預けているかと思います。そしてそれが普通預金であれ定期預金であれ、年に一回程度利子を貰っていることでしょう。
ところで、この利子とはいったい何者なのでしょうか?
利子には貨幣に時間的な意味を持たせ、時間と貨幣を交換可能にする性質があります。
例えば、1年間定期預金に100万円を年利0.1%の利息で預け、1年後に元本と利息の合計100万円1000円を受け取る場合、これは100万円を1年間自由に使用する権利と1000円を交換したことになります。
ここで重要な点は、貨幣を時間的に所持している状態、それ自体を貨幣に交換することができるということです。
定期預金の例からも分かるとおり、元本それ自体は全く変化していません。にもかかわらず利息が発生するわけですから、これは純然たる時間が貨幣化された状態であり、これこそが利子のみが持つ唯一無二の性質です。
さて、貨幣の正体は信用でしたから、信用を元手に更なる信用を獲得したということになります。
ではこの場合、時間と信用の交換比率はどれくらいなのでしょうか?
これはその時代その国における政策金利から交換比率を求めることができます。
政策金利とはその国の中央銀行が民間銀行へその国の通貨を貸付ける際の金利を指します。
銀行は中央銀行などから借りた貨幣を他者に政策金利以上の金利で貸付け、元本と利子を回収することで利潤を獲得しています。そのため、政策金利の変動は銀行金利に大きな影響を与えます。借り手にとって金利は小さければ小さいほど良いため、より低金利な銀行を選ぶようになります。しかし、それは貸し手の銀行も理解しているため、他行よりも低い金利を提示できるように策を講じます。その策の一つに個人預金口座があります。
銀行は何も中央銀行からしか貨幣を借りることができないわけではありません。我々国民からも貨幣を借りることができます。なぜ国民から借りようとするのでしょうか?それは政策金利より低い金利で国民から貨幣を借りることができれば、その貨幣を貸す際の金利も下げることが可能となり、他行に対して優位性が生まれるからです。
しかしながら、当然他行も同じ手法を用いることができます。
貸し手にとっては金利は大きければ大きいほど良いため、より高金利な銀行を選ぶようになります。
そのため、銀行は普通預金金利/定期預金金利を他行よりも上げ、より多くの国民から貨幣を借り受けられるように競争します。
ですが、もともと国民から貨幣を借りようとする意義は政策金利より低い金利で貨幣を借り受けようとする考えからくるものですから、普通預金金利/定期預金金利は政策金利より高くなることは決してありません。
これらから、政策金利>普通預金金利/定期預金金利≧他行の普通預金金利/定期預金金利の関係が成立するため、普通預金金利/定期預金金利は政策金利の動向によって決定します。
普通預金金利/定期預金金利は元本が完全に保証されており、発生する利息は純粋に時間を交換したことになるため、時間と信用の交換比率は政策金利によってほとんど決まるのです。
第二節 ブリッジ・オブ・リスク
前節で示したように普通預金金利/定期預金金利は純粋に時間と信用を交換することができ、交換比率は政策金利によって決まります。しかし、世の中にはこの交換比率を実質的にブーストさせる方法があります。
経済学ではこのブーストを「リスク」と呼称しています。
経済学上のリスクとは「ある事象の変動性に関する不確実性」という意味です。世の中には様々な変動要因があります。為替変動、気候変動、我々自身の気持ちの浮き沈みもある意味変動要因でしょう。これらはある程度予測できたとしても100%の精度で予知することはできません。経済市場ではこの時間的な不確実性を利用して交換比率をブーストさせています。
なぜリスクを利用するとブーストできるのでしょうか?
それは経済市場に自身の資本と時間を差し出す代わりに、他者の資本と時間を手に入れられる場合があるからです。
あなたは有馬記念で単勝10.0倍の馬券を1000円分購入し、見事的中させました。1000円×10.0倍ですから払い戻しは1万円となります。競馬ではどの競走馬が勝利を収めるかは馬券購入段階では分かりません。つまりこれは経済学上のリスク見なせ、あなたはそれを利用して1000円の資本で9000円分の資本を獲得しました。
このとき、9000円分の資本は予想を外した馬券購入者が馬券購入のために支払った資本から配分されています。
これは過程を除けば1000円分の資本を市場に差し出したリスクと引き換えに他者の9000円分の資本を手に入れたということです。
ギャンブルというハイリスクな例を持ち出しましたが、ローリスクな債券でも同様に考えてみましょう。
あなたはある企業の社債を1000円分購入しました。購入した社債の条件は以下のとおりです。
・企業格付けは最高評価
・償還日は10年後
・通貨は円
・年利0.5%相当
あなたは償還日まで社債を保持し元本と利息の合計1051円を獲得しました。
このとき、得られた51円分の資本の内訳は以下のようになります。
・1000円×10年分の時間が貨幣に変換された分
・企業倒産による元本喪失リスク分
今回の条件において存在するリスクは企業倒産リスク。企業格付けで最高評価を受けている企業であるため、このリスクも非常に小さいものとなりますがゼロではありません。
企業は社債によって集めた資本を用いて事業拡大もしくは新規参入を計画/実行します。そうすればより多くの資本を得られるチャンスがあるからです。もちろんこれらの計画は成功するかもしれないし、失敗するかもしれません。失敗しかつ企業が倒産するレベルだった場合、社債は紙くずとなり元本を失うことになります。これが企業倒産リスクです。
もっともあなたがこの企業の経営者だった場合、元本はおろか負債の支払いを迫られることになるので、元本を失うのみである社債は企業経営と比較して遥かに低リスクです。
事業拡大や新規参入に成功するということは、他社の事業領域を侵食するということであり、それは他社に資本を投じている経営者、株式保有者、社債保有者の資本をあなたが手に入れたということです。
逆に事業拡大や新規参入に失敗したにもかかわらず、企業倒産には至らない程度の場合、社債は企業がもともと持っていた資本から捻出されるため、こちらも他者の資本と時間を貨幣化して得たことになります。
このようにリスクを利用することで実質的に時間と貨幣の交換比率をブーストさせることができるのです。逆に言えばノーリスクで時間と貨幣の交換比率をブーストさせることはできず、もしあなたがそのような儲け話を耳にした場合、何かしらのリスクを見落としているのです。
第三節 失われた労働
前節で企業の事業拡大、新規参入に触れましたが、そこで働く労働者にとって企業の事業拡大、新規参入はどのような効果をもたらすでしょうか。
マルクスは『資本論』の中で「資本家が剰余価値を不変資本により多く振り分けると、資本の有機的構成が高度化する。すると総資本に対する剰余価値率は低下する。」と述べこれを「利潤率の傾向的低下の法則」と呼称しています。
平たく言えば、企業はFA(ファクトリーオートメーション)やDX(デジタルトランスフォーメーション)などの設備投資やより高品質な原材料に資本を多く振り分け、相対的に労働力へ配分する資本を減らすと長期的には利益率の低下を招くという意味です。この法則は発表当時から現代に至るまで多くの反証や批判に晒されてきました。というのも、現実に資本の全てを労働力以外に振り分けたとき、利益率が必ずゼロになるようなことは起こっていないからです。「労働価値説」では労働こそが価値の根源であるとしているため、完全なる無人工場では人が直接労働力を込められず、生産品には価値が付与されないことにならなければなりません。即ち、原価=売価となり利益率はゼロにならなければいけませんが、これは実態経済と異なるため「『資本論』は前提から成り立っていない。」という立場の主張を確固たるものにしています。
しかしながら、私個人は「利潤率の傾向的低下の法則」を成立させるシナリオが頭の中にあるため、ここに成立する解釈を書き記してみる。
第二章で私はマルクスが主張する「労働価値説」を一言で表した一文として以下のように書き記しました。
「商品の価値はその商品を生産するために費やされた社会的平均労働力量である※意訳」
ここで注視すべきポイントは社会的平均労働力量です。
ある企業、ある工場単体で如何に完全無欠な無人生産体制を実現できたとしても、その他の企業、その他工場が同じ商品に人的資本を投入している限り、社会平均的には無人生産においても人的資本が投入されていると見なされ、その投入量に応じた価値が生産物に付与されるため、利益を生み出すことができます。しかしながら、その後時間が経過してその他企業、その他工場も徐々に機械化/無人化を実現するようになってくるとどうでしょうか?
機械化/無人化により社会的平均労働力量は減少していくため、最初に完全無欠な無人生産体制を実現したある企業、ある工場に付与される価値も減少していきます。十分な時間と十分な設備投資が与えられ、ある商品を市場に提供する企業、工場全てが完全無欠な無人生産体制を実現したとき、社会的平均労働力量はゼロとなり、利益率もゼロとなるのです。
現代の資本主義経済においては十分な時間と十分な設備投資が与えられた市場は未だ存在しないため、事象の極限である社会的平均労働力量がゼロとなった商品を我々は観測できていません。そのため、実態経済とは異なる主張として受け取られているのです。一方で、機械化が進んでいる業界が、機械化が進んでいない業界よりも業界として利益率が低い/賃金が不当に低い例は多く見受けられます。コンサル業界や学術研究業界は人的資本への資本配分が高いですが、業界平均利益率は全業界平均利益率より高いです。反対に農業は世界的には機械化が進んでいますが、日本では労働力の投入による生産体制が一般的です。全世界で見た農業商品に込められる社会的平均労働力量は日本国内に限定したそれと比較して遥かに小さく、日本国内の利益率は散々たるものです。将来的には国内においても食料自給率と利益率の改善目的とした企業などによる積極的な農業の機械化が進むとされていますが、その先に待っているのは現代よりも苛烈な価格競争と薄利多売なビジネスモデルとなることでしょう。
以上が「労働価値説」と「利潤率の傾向的低下の法則」が成り立つシナリオです。これらの理論を基に企業の事業拡大、新規参入が労働者に与える影響を考えましょう。「利潤率の傾向的低下の法則」に従う場合、企業は労働力に配分する資本比率を減らします。これは以下の2つパターンで実現することができます。
・相対的に労働者を減らす
・絶対的に賃金を減らす
前者は商品に込められる労働力を、後者は労働力の対価を減らすことで実現します。現代おいて前者は善とされ、後者は悪とされているため、一部のブラック企業を除いて露骨に後者の手段を選び事業拡大、新規参入を計画することはありません。また、ある企業の事業拡大、新規参入は他社の事業領域を侵食するわけですから、企業の事業拡大、新規参入が進むほど必要とされる労働力は業界全体として減少していくでしょう。
価格は需要と供給の関係で決定するため、労働需要が減少した業界は結果的に労働価格も低下し、既に失われつつある低賃金かつ僅かな働き口を求めて労働者が争うようになるのです。
第四節 信用戦争
本章の第一節から第三節までで利子とリスクによる信用の増殖と「利潤率の傾向的低下の法則」による労働の減少を確認しました。
さて、これらの特性を活用している現代資本主義経済はどのような未来を歩むのでしょうか?
マルクスは『資本論』の中で「資本蓄積の発展に伴って、生産は次第に集積し、自由競争は独占へと転化する。」と述べています。
即ち、信用を十分に増殖させたある企業が更なる信用の増殖を図り、事業拡大、新規参入を繰り返し成功させていくと他社は事業を奪われ破産し、いずれ市場は1社が独占することになるのです。多くの企業は自社がその1社となるために、より多くの信用を獲得しようと血で血を洗う信用戦争を昼夜問わず行っています。その手段として最も用いられている生産の自動化は経済市場から労働力を排除する結果となり、労働力の「価値」は貨幣の「信用」に駆逐されていきます。仮に全ての産業が完全無欠な無人生産体制を確立したとき、労働力が持つ「全ての商品に共通する価値」は貨幣に奪われ、名実ともに「価値の根源は貨幣」となり、人間は貨幣繁殖のキャリアとしてしか存在を許されなくなるでしょう。
あぁ、貴様も余を裏切るか、「信用」していたのに。
第四章 現代錬金術概論
第三章までで確認した資本主義経済の仕組みから、労働力はいずれ信用力に価値の定義そのものすら奪われることが明らかとなりました。我々労働者が所有する唯一の商品である労働力は時間共に価値を奪われていくのだとするならば、価値の定義に成り代わる信用力を獲得せねばなりません。このような道を辿ることの是非については他の書籍に譲り、とにもかくにもそういうルールのゲームとして我々は如何にして労働力以外から信用力を獲得するかを考えなければならないのです。
そんな訳で本章では現代の一般的な信用力獲得手法である「信用力を用いた信用力の獲得」、現代錬金術を確認しましょう。
第一節 株式
株式とは企業に出資した証として企業が発行する証書です。株式保有者には主に三つの権利があります。
・出資した企業の経営指図を行う権利(議決権)
・出資した企業の利益を受け取る権利(利益配当請求権)
・出資した企業が倒産したとき、残存資産を受け取る権利(残余財産分配請求権)
また、これらとは別に株式そのものを売買することもでき、需要と供給の関係から株式の価格(株価)の変動による売買差益を獲得することもできます。
信用力の獲得を目的とした場合、関係するのは利益配当請求権(配当金)によるインカムゲインと売買差益によるキャピタルゲインの二つです。
私個人の印象として株式はバランスの取れた商品であると考えています。
というのも、株式は最終的には売却する商品ですが、債権と比較するとリスクが大きいため、株価変動で損をする場合があります。そのため、損切りを選択しない場合は長期間株式をホールドし続けなければならないケースがあり、いつ株価が回復するのか分からないため、資産運用計画に綻びを生じさせます。一方で、ホールドし続けている間は年二回ほど配当金を得られ、その金額は債権より遥かに多い場合がほとんどです。これらの性質から、株価が高騰した場合はキャピタルゲイン、株価が暴落した場合はインカムゲインで収益を確保することができるのです。
出資する企業そのものが健全で倒産リスクが小さい銘柄限定にはなりますが、企業が倒産しない限りはどっちに転んでも収益を確保できるため、債権よりリスクが大きい性質を利用したブーストを効かせつつ安定した収益基盤を確保できるのです。
なお、風が吹けば倒産するような企業に出資する場合、長期的なインカムゲインで収益を確保する作戦は心が保てません。QoLのためにも健全な企業を選びましょう。本当はそういう企業に出資することこそが投資なのでしょうが…。
第二節 債権
債権とはある特定の対象に、ある特定の行為、給付を請求することができる権利です。こと資産運用の領域では債券、ある特定の企業に、給付を請求することができる権利です。債券保有者には株式保有者と異なり、議決権が無く経営指図ができません。一方、債券は償還日まで保有すれば元本と利子が得られるため、株式と異なり元本割れリスクがありません。(為替リスク、倒産リスクを除いた場合)
債券の利回りは普通預金金利/定期預金金利と同じく、おおよそその国の政策金利で決まるため、より高い利回りを追求したい場合は発行母体の格付けや償還日までの期間を調整しましょう。
その他にも劣後債やゼロクーポン債などリスクをカスタムすることで利回りをUPさせることができるので、少なくとも保有期間で倒産することはないであろうと判断したならば、リスクを上乗せするのもありだと考えます。
第三節 コモディティ
コモディティとは直訳で商品を指します。特に金融市場においては、金や石油など物質的な商品を指す場合が多いです。
コモディティの特徴は、利益を獲得する方法が主にキャピタルゲインであることです。
株式などと比較すると、シンプルに需要と供給の関係で価格が変動するため、昔から先物取引の代表格であり、多くの商品はこの金融取引によって消費者市場価格が決定します。
一方、コモディティにはインカムゲイン要素がほとんどありません。
株式や債券と異なり、所有している状態そのもので利益は発生しないので、インカムゲインを獲得するためには所有しているコモディティを更に貸し出すなどもう一工夫する必要があります。
第一項 貴金属
貴金属(主に金)は貨幣誕生以前、それ自体がお金として振る舞っていた過去があり、現代では装飾品以外に半導体部品などで新たな活用方法が見出され、盤石な信用力を確保している商品と言えるでしょう。
他のコモディティと比較したとき、貴金属は運搬コストや管理コストが圧倒的に低いため、現物を所持してポジションを取り続けることが可能です。
そのため、特に金融危機などでお金としては新参者な貨幣の信用が低下すると、お金として大御所な貴金属に投資家は鞍替えします。21世紀においても、投資家は金で安心を得たいようです。
なお、インゴットを買う場合、500g未満の購入には「バーチャージ」という手数料、そして消費税10%が必要であるため、富裕層でもない私はそれほど購入したくはありません。
第二項 エネルギー資源
石油や天然ガスなどのエネルギー資源は19世紀後半から急速に需要と供給共に増大し、人類文明を大きく発展させました。現代でこそ脱炭素を神輿に担ぎ上げ意図的な需要低下を画策していますが、エネルギー資源で発展してきた現代、そう簡単に脱却できるはずもなく。また、OPECによる供給量調整により、価格調整されます。新油田の発見、新しいバイオ燃料の開発、景気動向などポジションを取っているとニュースへの感度が高くなる効能がありますが、現物受渡しを選択する場合、プラントを所有する必要があるため、電子上の取引のみで完結しない場合のリスクを考えましょう。
第三項 穀物
麦や大豆、トウモロコシなどの穀物も先物取引の代表格です。人類文明の発展には機械を動かすエネルギー資源だけでなく、人間を維持、繁栄させていく食料が欠かせません。穀物取引は特に季節性、気候変動性が強く、種蒔き時期に付与リスクが最大となり、収穫時期にリスクが最小となります。なぜなら、天候災害で予想よりも収穫量が減少したり、突然の豊作に見舞われることで供給量が変動し価格が決まるため、供給量が決まる収穫時期から最も遠い種蒔き時期がリスク最大となるからです。
現物受渡しを選択する場合、穀物はエネルギー資源のようにプラントを所持する必要はありませんが、相応の土地が必要であることや傷んで品質が劣化することに注意を割かなければなりません。
こちらも電子上の取引のみで完結しない場合のリスクを考えましょう。
第四節 為替
金融取引における為替とは通貨とそれ以外の通貨との交換を指します。
通貨には通貨ごとに込められる信用力に変動があり、円の信用力が何かしらの原因で落ちると相対的にドルの信用力が上がったことになり、円安ドル高になります。もしあなたが円の信用力が落ちる前に円をドルに交換しており、円の信用力が落ちた後でドルを円に交換したら、円をドルに交換する前より多くの円を所持することができるので、数字の上ではその差分だけ儲けたことになり、これが為替取引による儲け方の基本です。しかしながら、その段階では円の信用力は落ちたままですから所持している信用力は変化していません。この後に円の信用力が相対的に上がって始めて信用力が増え儲けたことになるのです。
また、為替取引には上記のキャピタルゲインの要素だけでなく、インカムゲインの要素もあります。
政策金利の低い国の通貨を売って政策金利が高い国の通貨を購入した場合、金利差が発生します。もしこの金利差が正であるとき我々はこの金利を受け取ることができます。これをスワップポイントと言います。
そのため、高金利通貨として有名な南アフリカのランドやオーストラリアの豪ドルに円を交換しておき、スワップポイントを稼ぐといった作戦もあります。ただし、一般に高金利通貨は信用力が低いために高金利に設定されているので、ちょっとした出来事で相場が大きく変動し、元本割れすることも多々あります。もし元本割れから抜け出したあとに売り抜けるような長期的なポジションを取ってスワップポイントを稼ごうと考えているなら、ポジションを取った外貨建ての債券を為替取引で得た外貨で購入しておいた方がよいでしょう。第二節で記述したように債券も政策金利で利回りがおおよそ決まりますが、様々なリスクをトッピングすることができるので、どうせ長期所持をしておくのであれば債券にしてしまった方が利回りが良くなります。
最後に為替変動は実のところ市場の雰囲気で決まるなどと言われており、往々にして経済指標などを用いた分析通りにならないことが良くあります。
間違ってもそんな奇想天外な魔物にレバレッジをかけて大勝負するのは止めましょう。イクイノックスの単勝を買っておいた方がよっぽど根拠もあるし儲かりますよ?
第五節 仮想通貨
近年存在感を増してきた仮想通貨とは発行母体が国家以外の通貨であり、日本においては以下のように定義されています。
・不特定の者に対して、代金の支払い等に使用でき、かつ、法定通貨と相互に交換できる
・電子的に記録され、移転できる
・法定通貨または法定通貨建ての資産(プリペイドカード等)ではない
金融取引に限った話であれば、ブロックチェーン技術が云々かんぬんと小賢しい言葉を並べ立てる必要はなく、国家という後ろ盾無くして電子上にのみ仮想的に存在する通貨と捉えてしまってよいでしょう。
法定通貨は国家が発行母体ということで信用力を担保していますが、仮想通貨はそのような発行母体を持たないため、法定通貨より信用力が低く価格変動が激しい商品です。
とは言いながらも、仮想通貨が一定の信用力を保持しているのは法定通貨よりも便利だからです。
多くの人々にはあまり馴染みがありませんが、法定通貨の海外送金は時間と手数料がかなりかかり為替交換もしなければならないため、低コスト短時間で送金が完結する仮想通貨は金融取引において非常に便利です。ただし、あくまで法定通貨の海外送金と比較して安く速いというだけで、クレジット決済やWeb銀行振り込みなどの馴染みある取引決済よりは高く遅いです。
仮想通貨の定義にもあるように、仮想通貨と法定通貨は相互に交換可能です。金融取引上は仮想通貨もそれ以外の通貨との交換は為替と見なせます。ただし、仮想通貨には国家という発行母体がないために、政策金利という概念がなく、法定通貨同士の為替では存在するスワップポイントがありません。その代わり、仮想通貨取引所ごと独自にステーキング/レンディングという定期預金のような仕組みを設けていたりします。
ステーキング/レンディングは取引所独自の施策なので、金利は自由に決められ時折キャンペーンなどで高金利に設定されますが、為替リスクに見合う金利であるかどうかを確認しなければなりません。
もし高金利法定通貨建ての債券利回りより高いのであれば検討の余地がありますが、それより低い金利であればキャピタルゲイン狙いでもない限り外貨債券の方がリスク要因を為替リスク以外にも分散できるので安定したリターンが得られるでしょう。
第五章 桃栗三年柿八年 枇杷は早くて十三年
前章では現代における信用力の獲得方法を紹介してきました。
ルールが変わらない限りは同じ作戦を使い続けることも可能ですが、我々人間は年を取ってしまい、年代によって必要なものごとはどんどんと変わっていってしまいます。資産形成においてはその変化に対応できなければ、資産は保有しているのに明日のクレジット支払いに困窮するような出来事も起こりえます。自身の未来のことは予測不能ですから、そんな危険を犯してまで資産形成を行うなどあり得ませんが、幸運なことに我々には先人の足跡を辿ることが許されているため、一般的な傾向に基づいて資産形成をおこなえば、大事故は避けられるはずです。
本章では各年代における資産形成の定石のようなものを検討し、読者の柔軟なポートフォリオ形成の一助となることを目的としています。
第一節 10代
一般的に10代の期間は、その多くを就学に費やすことになる人が大多数でしょう。そのため、第四章で記述したような錬金術を実践するための素材(種銭)をほとんど保有していませんし、そもそも親の同意を得られなければ金融口座を持つことさえ叶いません。現代の感覚でも未成年のわが子に資産運用をする許可を出すのは少々抵抗があるのが現実であるため、具体的な行動をとるのは難しいでしょう。そうなると、20代になるまでにいくらかの素材を稼いでおこうと考え、アルバイトに精を出す方法もありますが、私はシンプルに勉学に勤しむことが周囲の理解も得やすく、資産形成において最適手だと考えています。
その理由の最たるものとして、奨学金制度が挙げられます。国内の奨学金制度は親の収入と自身の学業成績の二変数関数です。親の収入は自身では操作できませんが、学業成績は上がれば上がるだけ、より多くの給付金や好条件な融資を受けるチャンスに巡り合えます。四年制大学の期間に絞ったとしても学業成績が良ければ400万円以上の融資を無利子で受けることができ、場合によっては返済免除になるかもしれません。利子の性質は第三章で記述したとおりであり、少なくともその性質を丸々タダで貰えるわけですから、借りられるだけ借りておいた方がお得です。
更に学業成績が良ければ授業料免除という副産物も得ることができます。この二つに効果で実質的に4年間で1000万円近い素材を獲得することも可能であり、アルバイトをするよりも遥かに多く、より短時間で獲得できます。
多くの10代は望むと望まざるに関わらず、就学することになるわけですから、どうせならそのついでに「一狩りいこうぜ?」
第二節 20代
多くの20代は初めての会社・初めての社会人生活に悪戦苦闘しながら、僅かばかりの賃金を得て毎日を何とかやり過ごしているのではないでしょうか?20代はライフステージの変化やライフイベントなどでどうしても収入に対する支出が多くなりがちであり、更に20代で形成される生活パターン、生活水準が今後の支出を決定づけます。そのため、20代のうちに支出を整理し、種銭を安定的に獲得していく行動習慣を身に着ける必要があります。
第一項 固定費
支出を整理し、種銭を安定的に獲得していくには、固定費の見直しが有効的です。皆さんはどうでしょうか?今のライフスタイル、生活基盤は検討に検討を重ねた末にたどり着いた様式でしょうか?案外なんとなくだったり、10代からの習慣をそのまま引き継いでいるのではないでしょうか。今一度、家計簿を付け、それが本当に必要なものなのか、必要だとしてその費用は適切と判断できるのか検討していきましょう。
・家賃
固定費の中で最も費用がかかる分類が家賃です。俗説として家賃は手取りの3分の1が目安などと言いますが、これはあくまで俗説。賃料による相対的比較からは離れて、何が必要な条件なのか、どのような生活スタイルを最低限求めるのか吟味しましょう。例えば死ぬほど働くライフスタイルならば、広い部屋もキッチンもいりません。帰って寝るだけですから、とにかく職場から近く睡眠時間を確保できる牢獄のような部屋で十分です。一見すると何のために生きているのか分からなくなりそうですが、そもそも住処の質で生きる意義が変わるほうがおかしいので、ライフスタイルを成立させる要素以外は不要くらいの気持ちで取捨選択していきましょう。
・電気ガス水道
一般的にライフラインと言われるこれら3つですが、電気とガスは役割が重複しており、ガスは冷房や照明には使用できません。契約形態にもよりますが、電気とガスには固定費用がある場合があり、使用してもしなくても費用が発生するケースがあります。役割が重複し、それぞれに固定費が発生するのならば、オール電化を選んだ方が良いでしょう。大家側の立場としても、火災リスクを避けられるオール電化を志向する流れがあるため、ガスを切り捨てることを検討してみてください。
・通信費
ここでの通信費はスマホ、ネット回線、固定回線を含みます。これらは役割が重複しているため、スマホ一つに集約しましょう。また、格安スマホにしましょう。真面目に働く社会人には高速回線も通信容量も不要です。緊急時の連絡手段のみと割り切りましょう。
・保険
新人研修の際に系列会社の保険を勧められ、よく考えずに契約した人も多いのではないでしょうか?はっきり申し上げますが、20代のあなたが大病を患う可能性は低いし、仮に死んだとして別に誰も困りません。一方、他者に対する賠償は年齢に関係なく発生する可能性はあるし、払えないと相手にも周りにも迷惑をかけることになります。以上から他者に対する保険(自動車保険の対人対物など)は加入を推奨しますが、自分に対する保険は必要ないでしょう。
第二項 変動費
固定費の整理が完了したら、変動費にも手をつけてみましょう。しかしながら、変動費はその時々で瞬間的な判断を求められる場合が多いため、事象一つひとつを吟味する時間的余裕がなく、コスト的にも無駄が多すぎます。事前に一定のルールを設け、それに合致するかしないかで判断していきましょう。
・食費
社会人にとって仕事と食生活のバランスをとることは非常に困難です。毎日定時で帰ることができる人であれば、スーパーでお買い得品を吟味し、健康的な食生活を送れますが、スーパーが開いている時間帯に帰ることができない人はコンビニか保存食しか選択肢がありません。
どちらのケースにおいても、20代のこの時期から食事制限をしていきましょう。残念ながらあなたの肉体の成長は完全に止まりました。これまでの食事は成長を目的としたものでしたが、これからは緩やかな終焉に向かって維持管理を目的としたものとなります。毎食の金額ではなくカロリーベースでルール化していきましょう。
・娯楽費
趣味やストレス発散は人生を豊かにするためには欠かすことのできない要素の一つです。しかしながら、これらは一般的に浪費のカテゴリーに区分され、無くても困らないものです。コインをドブに落としても諦められる程度の上限額を設定しましょう。
第三節 30代
会社の中心人物として重い責任とプレッシャーに晒される中、結婚、子育て、転居など人生のメインイベントが何重にも重なってくる30代。
そんな余裕などないのは承知の上ですが、20代で資産形成に精を出したとしても、よくよく計画立てて資産を活用していかなければ、ワンミスで資金ショートになりかねません。
実際、多くの家庭では親世代の物理的金銭的な援助のおかげで危機を回避しています。
親の謎の人脈でベビー用品を貰ったり、ローンの頭金を払ってもらったりと覚えがある方も居るかと思います。それらを前提にして立ち回るのもありですが、皮算用に終わる可能性もあるのでしっかりと計画を立てましょう。
独身の方には特にコメントはありません。
変わらぬライフステージと同様に、変わらぬ資産形成に取り組んでください。
第一項 現金
30代は最もキャッシュの消費が激しい時期の一つです。常に固定費の半年分、年内に発生が見込まれるイベント分の現金を確保しましょう。現金を確保するために株式や債券を売却する場合もあるかもしれません。このとき、利回りが低い商品から売却していきましょう。次項で説明しますが、投資資産の利回りは借金の金利より大きい状態でなければいけません。そのため、投資資産全体の利回りを上昇させるために利回りが低い商品を売却していくのです。
第二項 借金
キャッシュの消費は必ずしも自己資産でやりくりする必要はありません。親や銀行から融資を受けて対応するのも立派な戦略の一つです。ただし、資産ポートフォリオと借金を比較し適切な戦略であることを確認してから実行しましょう。
例えば、利回り0.1%の銀行定期預金に1000万円がある状態で、銀行から金利3%の住宅ローン融資を同額受けるのは明らかに間違いだとわかります。定期預金解約の違約金を支払ってでも、預金で住宅費用を賄うべきです。
しかしながら、もし仮に(絶対にありえないですが)利回り5%の銀行定期預金に1000万円がある状態で、銀行から金利3%の住宅ローン融資を同額受けられるならば、定期預金は解約せずに融資を受けるべきでしょう。
なぜならば、このポートフォリオ全体では1000万円分の利回り2%の利益を得られることになるからです。もし、定期預金を解約して住宅費用に充てていた場合、この利回り2%金額にして20万円/年を失うことになるのです。
定期預金利回りが住宅ローン金利を上回ることは絶対にありえませんが、株式や債券の利回りが住宅ローン金利を上回る可能性はそれなりにあります。商品の利回りが金利を上回る場合は融資を受け、商品の利回りが下回る場合は売却してキャッシュを作り出しましょう。
第四節 40代
30代以上に責任とプレッシャーに晒されながら自身の最終到達ラインを自覚し、まだまだ続く人生のメインイベントに加え、介護などの人生負債も始まり、一日経過する事に自身の身体の衰えを痛感する40代。
サラリーマンとしては管理職側に回るタイミングですが、30代と同様にキャッシュの消費が激しい時期の一つであるため、基本的な行動は変わりません。一方で親世代関連の対応が必要となってくるため、認知症や死亡する前に話し合いましょう。
第一項 介護
批判覚悟で記述しますが、マネタリーベース的に考えて、介護に人的/資本的リソースを割いてもリターンは見込めないため、立ち居振る舞いは負債処理と同じカテゴリーになります。
早急に処理をするべきですが、おそらくそれは心が言うことを聞かないでしょう。ここで考えるべきは、介護を浪費と捉え、それをどこまで許容するかということです。
現在から数年後までのキャッシュフローに対して、どこまで浪費をしても構わないか、どこまで本来娯楽に費やせる資本を削るかを具体的に計算し、上限を設定しましょう。
それ以上の支出はあなたのエゴであり、あなたや家族の犠牲を伴う行為であることを認識しましょう。
第二項 資産整理
親世代の遺産は必ずしも遺産として相続できるとは限りません。買い手のつかない負動産、廃車を待つだけの自動車、骨董品級の家具家電など。そしてそれが自身の現住所から遠く離れたところにある場合、考えるのを辞めたくなりますが、現実に向き合う必要があります。
·不動産
空き家バンクに登録して幸運にも手放せる可能性を模索するか、諦めて更地にし、相続土地国庫帰属制度を利用するかのどちらかしかありません。
ここで重要なのは不動産に資本価値がないことを受け入れることです。資本価値がある不動産であれば業者側からアプローチがいくらでもあるため、悩む前に処理が終わっています。不動産を手放せないという時点でその不動産には資本価値がないことは明らかです。愛着や「まだ使える」という思い込みを捨て、負債処理をしましょう。
·家具家電
メルカリやオフハウスでいくらか現金化しようなどというスケベ心は捨てて、価値の分からないものは処分も含めて業者に依頼しましょう。ゴミ屋敷でもなければ、買取価格と処分費用でトントンになるような見積りにしてくるでしょうし、交通費や有給休暇と比較して大して変わらないでしょう。
第五節 50代
ここまで適切な対応をとって資産形成を行えば、FIREも現実味を持ってくる50代。
あなたの最大の資産とも言える子供は、人生最初の佳境である大学受験や就活を迎えています。それで全てが決まるわけではありませんが、人生の頑張りどころであることを共有し、支援をしていきましょう。
第一項でも説明したとおり、場合によっては1000万円以上の資産を獲得することも可能ですから、一種の資産形成と捉えて取り組んでみてください。
第一項 学問教育
学問の習熟度は環境の影響を強く受けます。もちろん遺伝も相関関係にあると考えられますが、親の知的水準が高いために子の疑問に回答することができるといったように、後天的な知能の遺伝もバカにはできません。
FIREをせずに仕事を継続するにしても、学校や塾など他人任せにするのではなく、自身が教育職に従事しているつもりで取り組んでいく必要があります。
私立大学の学費は学部4年間プラス修士2年間で700万円程度…ざっくり1000万円かかるとしておきましょう。これが国立大学になると300万円程度…ざっくり500万円程度になります。この時点で半額程度ですが、国立大学にはかなり緩めの学費免除制度があり、申請すれば7割以上の確率で何かしらの免除を受けられます。悲観的に半額免除を受けられたと仮定すると、300万円の半分、150万円程度…ざっくり200万円程度まで支出を下げることができます。(※家計負担者の収入によって免除されない場合がありますが、その水準はかなり高めかつ、投資収益は分離課税にしておけば収入に含めなくて良いので、資産形成とトレードオフの関係にはなりません。)
ここまでくれば給付や貸与奨学金で子供の生活費まで賄えるため、キャッシュを消費せずに卒業させることも可能です。本人の希望が何よりも優先されることは前提として、このような立ち居振る舞いができる状況にし、選択肢を広く確保しましょう。
第二項 教養教育
大学受験や就活を終えたとしても、彼らは何も知りません。税金対策、資産形成、コミュニケーションの重要性、住民票の写しの貰い方など、学問以外の生活に必要な知識/経験/情報が圧倒的に不足しています。
学問を深めた代償として全てを分かった気になっている彼らに、上記のような学問以外の生活に必要な物事について理解しているのか質問責めにして、自身が置かれている現状を自覚させましょう。
これにより、彼らは必要に応じてあなたの知識/経験を活用するようになるでしょう。
第六節 60代
多くのサラリーマンは60代で長い勤労生活に一区切りをつけ、現役を引退することで収入が激減すると思います。再雇用などで労働収入を引き続き獲得していく選択もありますが、ここまで順当に資産形成を実施していれば、年金と保有資産で十分に生活を送ることができるはずです。
標準的な生活水準を送っている程度では資産を使い果たすことができなくなっているはずなので、リスクを取る必要性がありません。株式やコモディティをポートフォリオに入れている場合は国債などに組み替えリスクを極限まで減らしていきましょう。また、次世代への継承を意識し、不動産や車などの処分方法を検討していきましょう。
一方で人生の大部分を占めていた労働から解放されることで、急に老け込んでしまう人が多くいます。介護施設の利用料で資産を消費してしまわないように、今まで労働に投じていた時間を運動や趣味に使っていきましょう。
第七節 70代以降
ここまでくると結果が全てです。今持っている資産/知識/経験、それらがあなたの人生の最終成果物であって、増やすことも減らすこともほぼ出来ません。
しかしながら、それらを誰かに託していくことはできるのです。あなたに続く者があなたの資産/知識/経験をあなたという存在とともに繋いでくれるかもしれません。さて、資産を託すのは比較的に簡単ですが、知識や経験はそうはいきません。残したい記憶、守りたい伝統、繋ぎたい技術はありませんか?諦める前に以下の方法を試してみましょう。あなたの知識/経験は紛れもなく「価値」あるものなのですから。
第一項 書籍
人類の最も偉大な発明は「文字」の発明です。この発明により人類は記憶を記録として次代に残すことが可能となりました。論文、仕様書、手順書、ノウハウ本、このnote、どんな形でもどんな媒体でも構いません。
文字にして残しておけば、いつか誰かが繋いでくれるかもしれません。
第二項 写真/動画
力加減や何かしらのちょうどよいタイミングなど、理路整然と言語化できないような技能は写真や動画を撮っておきましょう。できれば編集してポイントを分かりやすく表現できればなお良しですが、無理はせず自分ができる範囲で取り組んでみてはどうでしょうか?
第六章 誰が為に鐘は鳴る
ここまで本書では、経済学の足跡や現代の投資商品を確認することに終始してきました。思い出してほしいのですが、本書のタイトルは『稼がない投資』です。本章では私が名付けたこのタイトルの含意を記述し、私個人が思い描く投資を通した世界の在り方という思想を提示します。
日本の一般的な国民にとって投資とは、本腰を入れて取り組めるほど親密な関係ではないし、比較的親密な個人投資家にとって投資とは、本業もしくは副業としてお金を稼ぐ手段として捉えられています。
近年では積立NISAなどをフックとして投資を始める層が広がってきていますが、思想や美学が形成されていないこの層に対して私は警鐘を鳴らしたい。
ここで第一章での問いを改めて示します。
「あなたにとってお金ってなんですか?」
何のためにお金を稼ぐのか、投資が手段であるならばその目的は何かを我々は考え、設定しなければなりません。さもなければ、我々も終わりのない信用戦争のうねりに呑まれ、ただあてもなく信用を求め続けさまよう放浪者となってしまうでしょう。
我々は放浪者ではなく、目的地に向けて歩を進める旅人にならねばなりません。そのために投資の目的を設定しなければならないわけですが、多くの個人投資家はおおよそ以下のような目的で投資をしているはずです。
・本業収入の足しにできれば…
・将来/老後の不安に備えて…
・車/家などの大きな買い物の頭金になれば…
・Fire/労働からの解放を求めて…
これらを目的に据えるのは決して悪いことではありません。個人的な欲求は行動を継続させるのに欠かすことのできない要因です。ですが、そればかりに執心してほしくはないのです。平成時代に個の権利や尊厳を推し進めた結果、令和の時代になって群としての人間社会の価値が最評価され始めているように、個人の利益に着目しがちな現代の投資価値観から視界を広げ、群の利益にも目を向けてほしいのです。つまり、あなた個人が考える真に社会に役立つであろう事業/企画/行動に投資をし、それらが成功を収めることであなた個人も社会も利益を得る、本来の意味での投資を取り戻そうということです。
群の利益に目を向けるという言葉を使うと、日本では企業組織全体の利益と社員個人の犠牲という関係を連想しがちですが、投資の目的に立ち返ると群の利益と個人の利益は直接的な相関関係にあるはずです。
先ほど例に示した一般的な投資目的はある一つの共通点があります。
それは「幸福」です。
どのような個人的な目的だとしても、その目的を手段として捉えた時、最終的に目的に据えられるのはほぼ確実に「幸福」であると私は考えています。
そう、我々個人投資家は幸福のために投資という手段を用いているのです。
群の目的はより分かりやすく「幸福」であることが行動から見て取れるでしょう。最近話題のSDGs、企業のCSR活動、資本主義や社会主義といった国の枠組みの形も群としての幸福を追求する活動です。世界はただ今日よりもより良い明日を目指し、人類という一つの生命を生かそうとしているのです。だからこそ、これらにかこつけて個人の利益のみを追求するワールドエネミーは必ず駆除しなければならない。必ずだ。個人と群で目指す目的は同じなのだから、あとはその道のりに多少の違いがあるだけで本質的には群の利益は個の利益なのです。
(この点が企業組織の利益は社員ではなく株主の利益となる、企業と社員の関係と異なるところです。)
では、どのような投資をすれば群の利益となるのでしょうか?
….浅学菲才な私には到底答える術などありません、本書をご覧の皆様におかれましては、よく学び、よく働き、この世界のありとあらゆる出来事に興味を持ち、それらの蓄積から生まれるあなただけの答えを投資の世界に投げかけていただければ幸いです。
これから答えを探しに行く皆さんへ私からの餞別は、私が出した投資への、お金への答えです。
「個人の利益のみに縛られず、群の利益に目を向けた投資が幸福への道標」
そう、そうであるが故に『稼がない投資』なのです。
※6章タイトル「誰が為に鐘は鳴る」の引用元
イギリスの詩人・聖職者ジョン・ダンの説教の一つ
「誰かの死は、私を衰弱させる。なぜなら私も人類の一員であるから。だから、弔いの鐘が鳴っているのは誰のためなのかを聞くために使者を送る必要はない。その鐘はあなたのために鳴っているのだから。」