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平和のノーマライゼーション

弱者のために作られた仕組みを強者のためにも使おう、弱肉強食でいくよりもみんなが楽になるようにしよう、という流れを作ろうとして、何年か経ちました。

この考えはノーマライゼーションといいますが、最初聞いたときは素晴らしい考えだと思ったし、こんなお得な理想なら強者もすぐ受け入れてくれるだろうと、軽く考えていました。

ですが現実は違います。弱肉強食の呪縛は、みんなをかなり強く縛りつけていて、話を通じさせるのも難しい。話の落としどころをどこに持っていったらいいのか?と、もんやり、もんやり、考えて、手がかりを探るためにTwitterで魚拓をとり、保存して、見返しては、もんやり、考えていました。

そしてついに、今日電車の中で、落としどころをふっと思いつきました。とった魚拓とは全然関係ないところでした。

それは、「平和の理論」です。戦争か平和か、という話題にも、ノーマライゼーションの考えが適用可能なことに気づきました。スケールがでかいですが、そのくらい壮大で差し迫った話題にしないと、強者には通じないのかもしれない。

平和の理論の中でのノーマライゼーションは、のちに別の名前がつくのかもしれませんが、便宜的にこれを「平和のノーマライゼーション」と名づけておきます。

平和の理論には、まず「抑止論」があります。外国が攻めてきたら大変だから、自分の国を守るために自衛しよう、自衛のために軍備を増強しよう、という考えです。ですが抑止論には罠があります。自国を守ろうとして軍備を増強すれば、他国から見ると「あの国は戦争をしようとしている。よし、うちの国も攻められないように軍備を増強しておこう」となります。そして気がつくと、世界が軍事大国だらけになっている。実は、このために第一次世界大戦が起きました。

抑止論を乗り越えるために考え出されたのが、「集団安全保障」という考えです。これは、同盟を結んでいる国の中で侵略などを起こした国があれば、ほかの同盟国がまとまって声を上げて制裁し、侵略を抑え込むというものです。集団安全保障の仕組みは、ロシアのウクライナ侵略でも出てきています。アメリカをはじめ日本も、ロシアに経済制裁を行いました。

今世界はプーチンは侵略やめよという構えですが、侵略はまだ続いています。どうやったら止められるのかと、気にやむ人も多いと思います。

そこで、「平和のノーマライゼーション」が登場します。

バイデン大統領は、一般教書演説の中で「民主主義対独裁主義」の構図を描いていますが、これはまずいです。なぜか。途上国や新興国の中には、いや大国であっても、よく目を凝らせばよくない側面があって、その側面は独裁主義に限りなく近いのかもしれない。ロシアは大国ですが独裁主義的だし、アメリカも、「世界の警察」としての態度に疑問を抱く人も多いです。国の強さを主張しようとするから、そうなるのです。

国の強さの誇示により外交をするのではなく、同盟や連合を結んだ国どうしでまとまって、他国をよく分析して、「何か困ったことがあれば協力しますよ」という態度で普段から外交をしておく。そうすれば、我慢がたたって爆発したりするのを未然に防ぎ、紛争や戦争を予防できる、という考えです。

「平和のノーマライゼーション」は、私が発明した考えではなく、今日本共産党が「外交により平和なアジアをつくる」として掲げている考えと一致します。志位和夫委員長も、「包摂的な(インクルーシブな)平和の枠組み」と繰り返しています。

抑止論、集団安全保障を経て、「平和のノーマライゼーション」と同じ何かが国連で提唱されれば、ウクライナでの戦争が終わった後、新たな平和秩序ができるかもしれません。

私でも思いついたのだから、実は9条を持った日本って捨てたものじゃないのかもしれません。

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