死蔵品を減らしたいと思うから「捨て」をしつつ物をもらい受ける
私は物の少ない暮らしに憧れている。収納は必要最低限で、その収納に物がきっちりおさまり、床や壁がたくさん見える部屋が理想だ。そうすれば掃除も簡単だし突然の来客にも慌てないしとにかく暮らしやすくなる。
が、現実はなかなか難しい。一人暮らしならともかく、子供がいるとなると自分の理想とは少し遠いと言わざるを得ない。
それでも散らかっているのは嫌なので、せっせと片付けていると、子供には私がなんでもかんでも捨てる人に見えるらしく、「お母さん、私のおもちゃ捨てちゃったの?」と聞いてくるようになった。
子供のおもちゃは、いただきものも多いので出来る限り残すようにしている。ただ、遊んでいないものは押入れのデッドスペースに入れることが多い。
捨ててはいないことを説明はするが、娘に限らず「捨てる」ことに対してネガティブなイメージがつきまとうのはなぜなのか…と考えて気づいた。
物の状態として、
1.よく使うもの
2.使う頻度の少ない出番待ちのもの
3.使われることなく死蔵されるもの
4.使われることなく処分されるもの
この4つの状態に分けられると思うのだが、普通はこの順番がそのままものを大事にしている順番になるのではないか。
私の場合、ものを大事にしていると言える順番は
1.よく使うもの
2.使う頻度の少ない出番待ちのもの
3.使われることなく処分されるもの
4.使われることなく死蔵されるもの
このようになる。使われることなく死蔵されることは、処分されるよりも、物が可哀想に見えるのだ。
押入れや部屋の片隅で、ほこりを被ってただ使われるときを待ち続ける物たちは、見ていてとても切ない。
なので、役目を終えたものは潔く処分したほうが物のためにもいいのではないかと思っている。物の状態が良ければだれかに譲ったり売ったりすればよいし、市場に回せるほどの価値がないのなら、捨てればいい。
ただ、使う頻度が少ないだけで使うものと、死蔵されているものの区別は難しい。私はものを処分したい病気にかかってるようなものなので、ある程度思いきれるが普通は難しいかもな…。
とにかく言いたいのは、私の周りだけでもこの世に生まれてきた物たちが、きちんと使われて役割を全うされて欲しいのだ。
最近、身内が断捨離をしているようなのだが、もういらないと判断された物たちが、私のところへやってくるようになった。その中にカビの出てしまったコートもあった。革製でとても暖かく、自分ではもう着ないのだが捨てるのは惜しいらしく着てもらえないかと言う話だった。身内のコートへの思いを感じた私は綺麗にしてみますねと引き取ることにした。
アルコールでカビを落とし、洗剤液を薄めたお湯につけた布で内側を拭き取り、天日に干して着ることにした。正直なかなかの手間だったが、無事コートは着られる状態まで回復し、身内には喜ばれ、私も実は冬用アウターが少なく買うか迷っていたので暖かいコートが手に入り、死蔵されていたものを救い出すこともできた。
もちろん、すべてこんな風に上手くいくとは限らないが、私のもとにやってきたものは大事にしていきたい。少しでも役割を全うできるものが増えるように。