テトリスを褒めてみる
テトリスをご存知でしょうか?
いや、ご存知だと思います、テトリス。きっとご存知でしょう。
いまちょっと調べたら、発表が1984年で、日本で認知されだしたのが1988年らしいです。俺も中学3年の時に初めてやったんできっと間違いないと思います。
そんな訳で、30周年を記念してテトリスを褒めたいと思います。
一番褒めたいのはやっぱり革新性だと思います。俺、テトリスを見るまでは「もうゲームはコレ以上新しい事は起きない」と思ってたんですよ。アクション、ロープレ、パズル、シューティング、アドベンチャー、スポーツ、テーブルゲームと、ひと通りのジャンルが出てきてもうそこからは新機能が付いたり、改良されたり、設定が変わるだけなんだろうなって思ってたんです。絵が綺麗になる事もあるし、便利になることもあるし、ジャンルが混ざったようなものも出るだろうけど、全く新しいものはもう出ないと思ってた。
自分が知ってる限りは、音楽だって、小説だって、絵だってそうだから、ゲームもそうなんだろう、と。
ところがテトリスは違いました。
初見で遊び方が分からない。ルールが分かった後も、それまでのゲームと違いすぎて面白いかどうかの判断もつかない。
ただ、俺に「凄い面白いゲームがある」とテトリスを教えてくれた友人の感性は信用できたんで「これは面白いに違いない」という変な確信だけはありました。
そこから「テトリス面白い!」ってなるのにそう時間はかからなかったと思います。
当時の俺には塩竈唯一のゲーセン「ターゲット」で100円2プレイのゲーム代を出すなんてのは非常にハードルが高かったんですが、人のプレイを見たり、友人が1プレイやらせてくれたりでテトリスの面白さを理解していきました。
新感覚、斬新、新機軸、意外。
今までのゲームとは全く違った文脈で成り立っている不思議なゲーム。
たぶん、これ、物心ついた時からテトリスがある人には全く理解されないと思います。なんだろ。何の知識もなしに、実物のアフガンハウンドを初めて見た時みたいな。「犬・・・で良いんだよな?」みたいな。
当時俺はちょっとだけならプログラムを組める子供でした。オリジナルのゲームが作れるほどじゃないけど、文字の入力とか判定とかを使って文字だけのクイズゲームぐらいなら何とか作れるってぐらいの。
自分がもっとプログラムを組めるようになったら、こういうのが作りたい、ああいうのが良いみたいな事は考えてたんですね。絵はかけないからそういうのが不要な物にしようとか、とりあえず新しいトランプゲームを考えてみようとか。
でも、テトリスのゲームシステムを理解した時に凄い衝撃を受けたんです。「もうこれ以上はゲームは新しくならない」ってのは俺の思い込みに過ぎなかったんだと。こんな突拍子も無いことを考える奴が大人にいるなら、子供の俺はもっと変なことを考えるべきじゃないのか?と。
実はあとになって、それがロシアから来たものだと知って、ちょっと納得したんですけどね。要はTVゲームって概念が無い地域の人がTVゲームを作った結果が「斬新」だの「新機軸」だのにつながったんだなぁと。
でも、俺が感じていた行き詰まり感に対して、テトリスは明確な答えを出してくれたんですよね。ジャンルなんてものは便宜上あるだけで、ゲームの種が尽きることなんてきっと無いはずだ、と。
今でも斬新なゲームを作ろうとするときには、必ずテトリスの事を思い出します。俺はきっと、早い時期にテトリスを見て、その面白さを正確に理解できたからこそ、いまのゲームや、今の自分自身に幻滅せずに、楽しげにゲームを作り続けられてるんじゃないかと思います。
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