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つけ麺好きとつけ麺産みの親

⭐️写真は、ラーメンひむろの味噌だれつけ麺です。

えーモンブランパークでございます。1963年(昭和38年)生まれの61才私は、つけ麺好きです。

15年以上前でしょうか。銀座のつけ麺屋さんで、お昼食べたのが初めてです。
ビギナーズラックというか、これが美味しかった。
こんなにつけ麺というものは、美味しいのかと。ラーメン好きでもなく、なおさらつけ麺、食べておりませんでした。
当時1000円を少し超えたくらいの値段でしたったと記憶しております。
それから、はまりまして。つけ麺を食べるようになりました。
もちろん、好みがあるので、好きなつけ麺、そうでないつけ麺はあります。

つけ麺の発祥は、1955年、東京の大勝軒(中野店)にて山岸一雄さんが開発したというのが、定説になっているらしいです。

山岸さんが修業店で、残ってしまった麺を、スープと醤油を湯のみ茶碗に入れ浸して食べていた賄い食をお客さんが気に入り、商品となっていったようです。

私、山岸さんは、フジテレビ系のドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」で知りました。
その時、山岸さんは、東池袋に「大勝軒」というお店を出されておりました。

有名店になっていたそのお店で、来たお弟子さん希望の方は、全てお弟子さんにしたそうですね。しかも、修業に来られた方に、最後の日、大変だろうからとお金を渡されていたのが印象的
でした。

山岸さんは、様々な試行錯誤をし、麺の量は見栄え良くするためラーメンの3割増したそうです。なるほどそれでつけ麺は、麺の量が多いのですね。

つけ麺の名称が最初に使用されたのは、1973年頃「元祖つけ麺大王』らしいです。
この店、ありました1980年頃。住んでいた三つ位の先の駅にありました。
友達がお店の奥に、「つけ麺大王」がいるんだと言っていたのを思い出しました。つけ麺大王を想像しておりました。私は怖い店なんだと。

つけ麺を食べられるのは、山岸さんが大きく貢献してくださったからなのですね。
今でも、お弟子さんたちにより大勝軒の暖簾は、守られているようです。
天国の山岸一雄さんに感謝。

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