Palm Sunday
会堂にこれほどの人が集うのを見るのは、ほんとうに久しぶりだった。
ワクチン接種を終え、1年ぶりに会堂に戻って来られた年配の教会員の方々。
噛み締めるようにいつものliturgyを唱え、手をあげ心から主を賛美している。
友や家族を亡くし、看取ることも葬式に出ることもできず、どこに行ってもつきまとうリスクに怯え、社会を覆う暴力と分裂を憂い、孫たちを抱き上げることも叶わず、来る日も来る日も静まり返った部屋にひとり、慣れないパソコンをなんとか扱い、画面越しの礼拝を捧げ続け、
先の見えない1年あまりをいったいどのような思いで過ごされてきたことか。
視界の端に映る彼らの背中を見ながら、胸がいっぱいになる。
一年前には叶わなかった集えることの喜びと、
この一年の間に失ってきたものを悲しむ重みを感じながら、
主の受難の足跡をみんなでたどった。
いつも通りの懐かしさと、特別な日の厳かさが、折り交じる。
子どもたちへの問いかけに
おどけて手をあげる大人たち
泣いてる赤ちゃんをあやすお母さん
突拍子な質問をする女の子
それを包みこむあたたかい笑い声
「あめつちこぞりて かしこみたたえよ」
まだ小さくしか歌えない
色んな声がする
ちょっと音がずれてる人もいる
でも確かにみんなの声
みんなでひとつの声
揺れてる棕櫚の葉
ゴルゴダの丘に響く声
“crucify!”
映像はない
スクリーンもない
字を追い
耳を傾け
主の十字架のむごさに
息をのむ
「エリ、エリ、レマサバクタニ!」
御言葉を取り継ぎながら
時折震える司祭の声
その合間に聞こえる
唸るような相槌
そしてすべてを覆う静けさ
立ち上がり
息を合わせて唱える
世代を超えて受け継がれてきた告白
“We believe in one God,
the Father, the Almighty,
maker of heaven and earth,
of all that is, seen and unseen…”
高く掲げられる聖杯
司祭と会衆との間で呼応することば
ひとりずつ立ち上がり
手のひらを重ねて待つ
罪の悲しみと赦しの喜びに満ちた厳かな重みが
会堂を満たしている
“Moe, the body of Christ is broken for you.”
マスクの奥のくぐもった声
フェイスシールド越しの司祭のまっすぐな瞳
口の中でゆっくりとけていくウエハース
「取ってたべなさい。これはわたしのからだです。」
ああ、罪も汚れもないあなたの御身体は
拭っても拭っても拭いきれないこの私の罪のために裂かれました
Glory to you, Lord Christ.
受難週がはじまる。
聖徒たちは今年も十字架を見上げる。
王なるキリストの通られた苦しみと、死と、よみがえりを思う。
すべてを新しくする復活のよろこびを待ち望みながら、今日も十字架を負う。
主の年、二千二十一年。