もしかしてこの制限も地球生活を満喫するためのセットプランだった?
モクちゃん 素敵な気づきのシェアをありがとう。
すごく光を感じる記事だったよ。
上位のビリーフって、かなり気づきにくいけれど
終わらない修行設定は、気づくことができれば、生きているうちに終わらせることができるんだなあと感じたよ。
ところで私は藤井風さんの歌が好きなんだけど
モクちゃんの記事を読んだ時、この曲が頭に流れたんだ。
トラウマや悲しみを癒して、感じられるのは愛だけの世界
そういう世界を見させてくれる曲だなあって
なんとなくモクちゃんのシェアと通じるものを感じたよ。
さて私も最近気づきがあったんだけど、まだ少し半信半疑なところがあって、書きながら整理したいなと思うので、ちょっと付き合ってもらえたら嬉しいな。
先日、夫と話していて
「そうかあ。あなたは制限から解放されて、自由になるのが好きなんだね」と、夫が言った言葉に
「そうそう!それが一番好きなんだよ!」と私は答えた。
まさに「制限から解き放たれて自由を感じる」この体験が私はど真ん中で好きなんだよねと、あらためて自覚した。
そして「あれ?」と疑問をもった。
最初から自由だったら、それが当たり前で自由の喜びを感じることはない。
だから制限が必要であって、その制限があるからこそ自由を思いっきり感じることができる。
あれ?そういうこと?
私はこの体験が好きだから、あえて制限がある環境だったのかしら?
私は子供の頃から、制限だらけの環境だった。
相手からルールや考え方を押し付けられ、それに従わなければならない環境で
もちろんそれが良識的で納得できるルールなら良いけど、その人独自の世間一般からは逸脱したルール。
今振り返ると、そんなおかしなルールに従わなければいいよねって思うけど、親のしつけにより自分は間違っているという思い込みが強くて、マインドコントロールされやすかったんだと思う。
今はおかしいもんはおかしいと言えるけど、若い頃はそうではなかったんだよね。
当然、そのような制限強い環境ではストレスフルで、そのうち破綻する。
そして制限ある環境から解放されて、自由であることの喜びを実感する。
この体験を繰り返してきたんだなあって、あらためて思ったんだ。
もしかしてこれは、私が好きなことを体験したいがために、用意された人や環境だった?
嫌な人じゃなくて、制限することをしてくれた人だった?
悲しい辛い思いも制限も、私が地球で自由を感じるためのセットプランだったのかあと、仕方ないね、まあいいかとなった。
もちろん年齢と共にキツイ制限と解放と自由の体験は、マイルドになってきたけれど
ちょいちょい人生の中で、自由満喫するためのイベントが発生する。
ただもうキツイ制限ありのイベントはいらない。
充分に制限は体験したから、日々の暮らしの中でちょいちょいマイルドに自由を満喫したい!
きっとこれも自分が自分にかけている制限に比例するのかもしれないね。
ここをもっと気付いて自分の制限を解放していけば、外側からの制限に依存しなくていいと思うんだ。
自分を自由にできるのは、結局自分なのだから。
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