意外と正直に生きるって健康にいい
最近恐ろしく疲れていた。
仕事が忙しい、うまくいかない、疲れる。
思うように動かない体。
辟易していたし、少し病んでいた。
「どうして私はこんなに…」
無駄にテンションを下げ散らかしていた。
コロナに罹って、ずっと布団で横になっていたからなのか恐ろしく体力がなく、一人で過ごしていたからかどうしても誰かと直接話すと脳味噌を直接ブン殴られているような衝撃を受けた。
刺激、刺激、刺激。
どこに行っても刺激にさらされた。
全てから逃げたかった。
この文を書くという行為も恐ろしく自分を疲れさせた。心の調整は余裕のない時に行うと、計画性のない模様替えのような騒がしさがある。
「早く仕事辞めたい…旅行行きたい…誰も私を知らないところに行きたい」
心に余裕がないと仕事を辞めたくなる。
誰も私を知らないところに行きたくなる。
誰にも認知されることなく最低限の人との関わりで生きていきたい。
どうせ心に余裕がでたら寂しくて後悔するくせに。経験則が私に話しかけてくる。
ベッドで横になりながら眠れない頭で布団を被る。「もう無理です」「太陽光さえムカつく」「犬とだけ生きていきたい…」ブチブチと文句を言いながら目を閉じる。
部屋はあり得ないくらい荒れているし、人が作ったご飯は久しく食べていなかった。
出張の片付けしなくては…出張の準備もしなくては…仕事の準備…。
グルグルとやらなくてはならないことが頭から離れない。
でもどうしても体が動かない。
ぼやーっとしながら携帯を開く。
何か楽しみを見つけなくては。
そう思いながらおもむろに親指を動かした。
昨日、ようやく息抜き!ということができた。
あんなに声を出して笑ったのは久々な気がする。すごく元気が出た。
あと久々に料理をした。
料理といっても半分インスタントなのだが、なかなかインスタントに手を加えるということをしないのでなかなかに新鮮で、丁寧な暮らしってのはこういうところから行っていくものなのだとぼんやり思った。
お風呂にも早めに入ってボディケアもしたし、スキンケアも久々にパックまで丁寧にした。
現在、スターバックスにてキャラメルマキアートとクラブハウスサンドウィッチを摂取しながらkemioのラジオを聴いている。
kemioはいい。
TwitterやInstagramでうっすらしか追っていないけど、見るたびに面白いしオシャレで自分の芯をしっかり持っている人だなとわかる。
こういう人が話す言葉の栄養価は高い。
キャラメルマキアートって思ったより苦いよね〜みたいなことを思いながら一口飲んでちょうどkemioのPodcastが終了する。
イヤホンを外すと母が帰りたさそうにこっちを見ていた。いつもそうだ。Starbucksでゆっくりしたいね。と誘ってくるのはあなた、早く帰りたくなって我慢できないのもあなた。
タンブラーにふたをすると、母がトレーを持って立ち上がる。爆速で片付けると「家帰ったら片付けするのよ」とウキウキしながら店内を後にした。この人もこの人で自分に正直で強かな人だなと思う。
もう少し自分に正直に生きてもいいのかもしれない。嫌なことは嫌、やりたいことはやりたい、そのまた逆も然り。
どうしても性格上、言いたいことを言えない、遠慮してしまう、みたいなところもあるけれど、そんなことをしてもいいんじゃない?なんて思い始めている。
まだ少し世の中の色々なことが億劫だけど。
正直に、真摯に、真っ当に生きてればそれも良くなるんじゃないかとなんとなく感じている。