【歌詞考察】「パステルカラーパスカラカラー」って何色?歌詞の呪文を解読してみます。
声に出して読みたくなるタイトル、「パステルカラーパスカラカラー」。
アルストロメリア通算7個目の楽曲はポップなサウンドと、可愛いフレーズ、言葉遊びと聞き覚えのない言語で構成されています。
この記事では、タイトルにある「パスカラカラー」とは何色なのか、
何故聞き覚えのない言語が使用されているのかを始めとし、先日リリースされたイベントシナリオ「アンカーボルトソング」との関わりについても注目しながら単語の意味を噛み砕き、考察していきます。
この記事にはアンカーボルトソングのネタバレが含まれているため、ご注意ください。
歌詞考察をする前の前提知識
まずは歌詞考察の前に、 L@YERED WING 05のジャケットからキーワードとなる情報を抽出します。視覚的な情報としてわかるものは下記になります。
・淡い紫色
・ウェイトレス
・紅茶一式(ティーポット、ティーカップ、紅茶)
・お菓子やケーキ
・紫の花
・魔法(カップ等が浮いてる)
上記内容より、今回の表テーマは「ウェイトレスの魔法使いとティータイム」かと推測されます。
「パステルカラー パスカラカラー」は魔法使いが使うような不思議な呪文(ラテン語)と過ごしてきた日々について語っている内容となっています。
※ちなみに「ラブ・ボナペティート」はお菓子作りの話です。
※余談ですが衣装名は「ウェイトレス・パスカラ」となっております。
そして裏のテーマは何かというと、やはり「アンカーボルトソング」です。
アンカーボルトソングについての考察は前回の記事をご確認ください。
アンカーボルトソングの考察記事は【こちら】
本歌詞にはアンカーボルトソングにて話題になった内容を連想させるキーワードが散りばめられており、「魔法使いがお菓子を作って誰かに想いを伝える」風を保ちながら、アンカーボルトソングで起きていた出来事について触れています。
それでは歌詞考察に入りたいと思います。
「パステルカラー パスカラカラー」
まずはパステルカラーについて説明いたします。
パステルカラーとは「桜や藤色のような白色が混ざった淡い色彩、中間色」のことを指します。対義語はビビットカラー(はっきりとした原色)です。
アンカーボルトソングではSNSやソロ活動を通して、「アルストロメリア3人で活動すること=ビビットカラー」に対して、「ソロ活動をすることで、少しづつユニット色が薄まりつつある=パステルカラー」という話でした。
パステルカラーが今回の題材に用いられているのは「曖昧になってしまった」や「色が薄まった」というアルストロメリアらしさがなくなったことを示唆しているかと思われます。
次にパスカラカラーについてです。
パスカラというのはアルストロメリアの品種の一つで、白を基調として花弁の先が紫色になっている花です。
別名を「百合水仙」といい、花言葉は「持続、幸福な日々」です。
※紫のアルストロメリアは「未来への憧れ、幸運の訪れ」が花言葉です。
次にインフィオレ(in fiore)についてですが、これはイタリア語で「満開、開花」という意味になります。
上記フレーズをつなげてみると、
「淡い紫の色のパステルカラー、何度でも開花する」になります。
言葉あそびが強いフレーズではありますが、ここだけでもアンカーボルトソングで色が薄まったアルストロメリアの3人が、何度でもファンのために開花し、幸運の日々が訪れるというメッセージが読み取れます。
さて問題の2フレーズ目です。この曲はアルストロメリアの楽曲の中で一番単語の意味を調べるのが難しかった曲なのですが、今回聞き慣れないカタカナはほぼラテン語で形成されています。(ミヒ~の部分ですね。)
今回、ラテン語が採用された理由は下記2つかと推測されます。
①意味が伝わりづらい言葉を使うことで「魔法の呪文感」を出したいから
→テーマが魔法なので呪文を唱えているテイストを出したい。
②ラブ・ボナペティートで多用されている「製菓用語」と関連性が高いため
→製菓用語はフランス語で構成されており、世界観の統一が取れる
何故ラテン語が使用されているかを解説したところで、実際の意味について触れていこうと思います。
ミヒ トゥアレ ディディエインディエム(mihi to vale de die diem)
ですが、「mihi to vale=別れを告げる」、「de die in diem=日々」のため
直訳すると「日々に別れを告げる」になるかと思います。
上記フレーズをまとめると
「淡い紫の色のパステルカラーの日々に別れを告げる」になります。
ファンと心がすれ違い、薄まりかけていた日々に別れを告げるという意味ですね。この曲のすごいところはアンカーボルトソングを履修していなかったとしても、「魔法の呪文ぽいね!」で流せちゃうところですね。
愛=熱烈な想い(ファン)と捉えるとファンの思いが具現化した声や気持ちで幸福論(アルストロメリアとしての生き方)を踊る(生きる)という内容かと思われます。
再度呪文タイムです。
ウェーリタース リーベラービト ウォース(Veritas liberabit vos)は直訳すると「真理はあなたがたを解放する(自由にする)だろう」という意味になります。
上記フレーズをまとめると
「ファンの想いを胸に、アルストロメリアとしてパフォーマンスをしよう。そのパフォーマンスは魔法のような時間となり、夢をみているかのような気持ちになるため、ファンはこれまでに感じていた悩み等から解放される」といったところでしょうか。
アンカーボルトソングでは個別活動をしていることでユニット活動が減っていることを悩むファンの姿が描かれましたが、最後にデパートでライブする時には大勢のファンに囲まれ、祝福されておりました。どんなに懐疑的になっていても、「ライブにくればアルストロメリアを感じられる」といった内容でしたので整合性は取れているかと思われます。
アンカーボルトソングを見てなくても、「なんか魔法使いが魔法かけてくれる~」ぐらいの気持ちで捉えられますね。
やっとAメロに入ります。最高の幸せと感じるのは「ちゃんと好き
だって言えた時なのかも。」と言っていますが、裏を返すと別のことに幸せを感じていたが、今振り返って見た時に「やっぱり好きなことが好きだと気づいた」と捉えられます。
では、何に幸せを感じていたのか。それはアンカーボルトソングにおける「個人のソロ活動」が該当するかと思います。ユニット活動のおかげで、ソロ活動の機会が与えられてがむしゃらに頑張る3人。
その結果、一時的に大好きなアルストロメリアと離れているように見える展開でしたが、最終的には「アルストロメリアが好き」という匂わせで終わります。それは好きなことを「ちゃんと好き」と言えたという状態ではないでしょうか。
アンカーボルトソングの中盤まではお互いの大事な時間を邪魔しないように、伝えたいことも伝えられず我慢しているシーンが複数ありました。
大事な気持ちや、相手の「物事に向かう姿勢」のボリュームが見えないと、「今話しかけてもいいのかな?」と懐疑的になってしまいます。
※甘奈に差し入れをしたが、忙しすぎて本音を伝えられなかったシーン
そういった大事にしたままの「思い」や「言葉」という形を持たないものを普通の人は計測できないので、哲学者であり、数学者である「ルネ・デカルト」に「急いで計測してよ!」と半ば頼み込んでいる状態がここのフレーズの後半部分に該当します。
エピグラムとは直訳すると「ひねりを利かせた詩」となり、語源はギリシャ語の「ἐπίγραμμα(epigramma、碑銘・碑文の意)」となります。
スーペラアイデンス(subridens)はラテン語で「笑顔」になります。
上記フレーズは一つ前の解説にぶら下がる形になるかと思います。
「大事にしたままの思い」は「エピグラムのように短く、素直に伝えてね。
そうすれば笑顔になれるよ」というメッセージです。
こちらは歌い出しの繰り返しとなりますので、相違点だけ説明いたします。
ベルマーレ(Bellmare)とはラテン語で「Bellus=素晴らしい、美しい」と「Mare=海」の組み合わさった造語です。ここのフレーズで触れている「美しい海、素晴らしい海」とはサイリウムの海が該当すると考えられます。
冒頭にもLW05のテーマを伝えましたが、今回はパスカラカラー(薄紫)がテーマです。アルストがアンカーボルトのデパートライブやLPのユニットライブで披露した曲のテーマが「紫色」であれば紫色のサイリウムの海に染まることもあると思います。
進化論の解釈が難しいので少し説明します。進化論は「生物は神の創造物ではなく、下等な生物から高等な生物に変化する」という説です。アルストロメリアは神が生み出した「最初から3人セットの完璧なユニット(創造論)」ではなく、「個人の活動も通して、成長をし続けているユニット(進化論)」と捉えると意味が見えてくるはずです。
そして呪文詠唱に入ります。
ウェーレ アク リーベレー ロクェレ(Vere ac libere loquere)は直訳すると、「ありのまま自由に語れ」になります。
上記フレーズをまとめると、「ファンの熱烈な愛に刺激されながらも、成長途中であることを認め、ありのまま自由に意見を言おう」といった形でしょうか。
アンカーボルトソングでも「3人での活動がなくて悲しい」という過激派ファンの意見をアルストが受け止め、個人活動を糧にしながら「やっぱり3人で活動するのが好き!」ということを再認識するシナリオ構成でした。
そういったアルストのSNSにおける「匂わせ」や思いはファンにも届き、魔法がかかったかのように気持ちも収束するのでした。
2番に入ります。
余計な一言が軽々しく君を傷つけているようですが、どんな一言が誰を傷つけているのでしょうか。
ここでいう「余計な一言」というのはアンカーボルトソングにおける「芸能人とのツーショット写真同時公開ツイスタ」のことでしょう。
誰かを攻撃するつもりがない何気ない投稿が、ファンやアルストロメリアの3人をを少しだけ傷つけていたという内容に捉えられます。
※匂わせ投稿にモヤモヤしていたことが発覚したアルストの面々
「寄り添えない時」とはどんな時でしょうか。アンカーボルトソングでは
「3人一緒の活動をする」というファンの希望にも、寄り添えていませんでしたし、アルストの3人が自分以外の2人に寄り添って、親身に相談する時間すら設けられませんでした。(実際には無理やり捻出しましたが、失敗しました。)
最後の呪文詠唱です。
アド イグノースカス(ad ignoscas)は直訳するとラテン語で「言い訳に」になります。
こちらも前の歌詞である「なんで不思議ね」にぶら下がる形で、
「余計な一言で君を傷つけた、寄り添える状況ではないという言い訳を口にして」となるのではないでしょうか。
こちらはサビのリフレインとなりますので、割愛します。
要するに苦難があっても何度でも開花する。というイメージです。
こちらも2サビのリフレインとなりますので割愛します。
要するに、ライブ時に薄紫色のサイリウムで染まる時、
これまでのマイナスな気持ちは忘れて、ありのままの純粋にアストロメリアを応援する気持ちになれる。夢のような魔法のような時間を味わえるといったところです。(割愛してない)
パステルカラー・パスカラカラーの歌詞考察まとめ
・パスカラカラーは薄紫色
・魔法の呪文感を出すために「ラテン語」という聞き慣れない言語を使用
・歌詞の内容は「アンカーボルトソング」を参照している
以上になります。オタク君のこじつけじゃん!って言われると否定できないのですが、これまでの楽曲もイベントシナリオ等と強く結びついているためある程度意識はされているのではないかと思います。
近日中にラブ・ボナペティートに関する考察記事も作成いたしますのでもう少々おまちください。
歌詞の解釈を求めてここまできた熱心なシャニマスユーザーの皆さんが少しでも得るものがあれば幸いです。
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楽曲の基本情報