大学への憧れとその消滅

最近、どうしたわけか『奨学金』という言葉を立て続けに目や耳にする機会があります。何故なのでしょう。理由はさっぱり分かりません。
ただ、自分が思ってる以上に奨学金を利用している人はいるのだなと、驚きを覚えているところです。
奨学金というと、借金を抱えたまま社会人になり、以降は借金返済に苦労するんじゃないかというあまり良くない印象を持っていました。実際そんな人も多くて貧困に陥ってる人達がいるというニュースを見たこともありましたし。

だけど奨学金を返済しながら上手く生活していける人も多くいるんだなと、ここ数ヶ月の間に目から何重もの鱗が落ちてゆきました。
自分が勝手に持っていた悪いイメージだったのですね。もちろんそれで困窮している人がいるのも事実のようですけど。

私は『大学』というものに憧れがあります。
何故なら私は高卒だから。
大学には進学したかった。けどお金が無かった。それだけの単純な理由で進学は諦めました。
じゃあ奨学金があるじゃないか。
その選択肢は確かにありました。当時の私にも。
正直言うと大学へは行きたかったです。古典が好きで特に平安文学を学びたかったので。
古典を学ぶために大学へ進学する道を選ぶなら奨学金しかない、そんな状況でした。
だけど社会人として新生活が始まるその時から借金を背負って生きていくことが当時は不安でたまらなくて。そんな不安を抱えたまま大学へ通うのには抵抗があったのです。
それにそんな状況で大学へ通ったとしても、常に借金のことが気にかかり、勉強に集中出来ないまま大学生活を送るのではないかとも思えたのです。私の性格上。

だったら本格的に学ばなくても趣味として古典文学を楽しんでいけばいいんじゃないか?
就職したらお給料が入る。そのお金で古典関連の本を買ってそれを読んで暮らしていくのも悪くない。
そう判断して私は大学を諦め、就職したのでした。

だけど私が勝手に持っていたイメージとは違って、奨学金を受け取りながらも借金に苦しむこともなく余裕を持って生活している人もいらっしゃるとあとになって知ることになったのです。
なんだ、そうだったんだ。
思い返せば当時は奨学金のことをろくに調べもせずに「借金を背負わされ苦しい生活を強いらされるもの」と勝手に決め付けていたな、と。負のイメージしかなかったな、と。

もちろん就職してからも大学へ行く夢は持ち続けてはいました。完全に消し去ったわけではなく、いつか余裕が出来たら大学へと考えてはいたんです。

進学するか就職するか担任との最後の話し合いのときのこと。
大学へは本当に行かないのかと問う先生に、私は就職しますときっぱりと答えました。未練など全く無いんだとアピールするために笑顔で。
実際は未練たっぷりだったんですけどね。

そしたら担任の先生が悲しげな顔で
「この成績だったらいい大学にも行けるのに…」
と言ってくれまして。
その言葉がとても嬉しかったんです。
先生のあのときのあの顔。あの言葉。今も覚えてます。
そして変な話ですが、そのおかげでその時は進学への未練がきれいに断ち切れました。
自分は大学へは行かないけど、大学へ進む力はあるんだと分かったから。
だからこれからお金を貯めていつか大学へ行くんだと心に決めていました。

だけど職に就いて社会に出てみると、あらゆる誘惑が押し寄せてきて様々な楽しみが増え、あっちへふらふらこっちへふらふらで、いつしか古典のことなどどうでもよくなっていき。しかもあらゆる誘惑のせいでお金もほとんど貯まらない状態。
それでも自分はいずれそれらを学びに行くんだ、必ず行くんだと望んでいるのだと思い込んでいたのですが、ある時、

「あれ?もしかして私、勉強したいって思わなくなってない?」

と気付いてしまったのです。
それでも、「いやこんなに大好きな古典なんだし、確かに今はちょっと離れてしまってはいるけど本格的に学びたいと思ってるはず」と思い込もうとしたのですが、別に何かをきっかけにというわけでもなく、自然と情熱が消滅していったような感じでした。
しばらくはそんな自分を受け入れられず無駄にあがいていました。でももう自分は古典を学びたいとは思っていないんだこれが事実なんだと、いつだったかについに観念し、大学へ行く道はそこで消し去ってしまったのでした。
それまでは「大学へ行きたいなあ」だったのですが、
今では「大学へ行きたいと思っていた自分がいたなあ」です。
年齢でいうと多分ですが24歳から気持ちが薄れ始め、25歳で完全消滅してしまった気がします。

そんなわけで今はもう大学で学ぼうという意思はなくなってしまいましたが、今でも大学生を見ると「いいなあ…」という思いが若干出てきてしまうくらいには憧れは持ち続けているようです。
だけど肝心の学習意欲が無くなってしまっているのでどうしようもないですね。

きっと高校三年での進路選択でのあのタイミングを逃した時に、すでに大学で学ぶ道はふさがれてしまっていたのでしょう。何事も「やりたい」と熱意があるうちにやらないと駄目なのだなということも今では悟りました。
あの時の熱い思いは何処へ行ってしまったんでしょうね。

と、ここまで書いてきて、当時の選択を後悔しているかのようになってしまいましたが、今の暮らしは今の暮らしで日々楽しく過ごしているので特に選択自体への後悔はないのです。
読みたい本を読み、食べたいものを食べ、行きたい所に行き、それなりに充実した生活してますから。現状に不満は無いんですよね。
ただ、奨学金を受け取りながら今現在を充実して生きている方達の話を知り、ふと考えてしまったんです。
あのとき借金を背負う覚悟をして奨学金を受けて大学に行っていたら、私の人生はどうなっていたんだろうって。
今とは全く違うものになっていたのか、それとも今とあまり変わらない生き方をしているのか。
今の人生で後悔といえる後悔は特に無いのですが、そちらの自分になっていたらどうなっていたのかな。
そんな物思いにふけってしまったのです。

そんな思いを今日は書いてみました。