敗北した男の魅力というものについて

人生を大上段から語れるほどの年齢ではないが、それでも男の人生には勝負事が付き物なのだ、ということは理解している。自分の意思に関わらず、いつの間にか勝負事に巻き込まれている。それが自分では勝負事として捉えていないことでも、成功と失敗という分岐があるのであれば、それは勝負事と表現していいんでないかと思っている。
そして当然ながら、勝負事に常勝は存在しない。自分の力量がどれほどのものであったとしても、それは勝敗を決する絶対の要素ではない…人生には時の運という個人が干渉できない領域というものが存在している。
まあ簡単に言えば男が生きていればいずれ敗北に直面するのだ、と言いたいのです。そして個人的な感想を言わしてもらうなら、敗北したときにこそ男の品格とか魅力というものが映し出される、と思っている。「誰よりも狙われた男」でフィリップ・シーモア・ホフマンが演ずるギュンター・バッハマンはその事実を端的に示してくれる人物だと思う。
バッハマンは風采の上がらない中間管理職の諜報員だ。見た目も普通のサラリーマンと変わらない…ボンドやボーンのようなスパイ映画の主人公たちとはかけ離れている。銃も打たず、ロマンスもなく、技術の粋を集めたガジェットも使わない。冷静に、あるときには人でなしのような決断もしながら、過激派イスラムと目される若者を追っていく。
しかしバッハマンは卑劣漢というわけではない。情報提供者の若者の抱える苦悩を理解し、容疑者の真実を突き止めようとし、そして酒とタバコを手放すことができない…映画の端々に、バッハマンの人間性が決して冷酷ではないと思わせるシーンが挟まれる。
バッハマンの格好も粋だ。ボンドのようなファッションに気を使うスパイではない。あくまで実用本位なスーツを着方だ。それは無造作で、だからこそ不思議な味を感じさせるような気がする。スーツが無個性で合理的ではないという輩はバッハマンを見習うべきだ。
敗北を重ねて、それでもなんとな勝利を納めんと知恵を絞る男が写し出されている。敗北を重ねてなお、諦めていない…いや諦めきれないというべきか。バッハマンにはボンドのような勝利を約束された男が持たない褪せた色気を感じさせる何かがある。敗北してもなお立ち上がり次の仕事に赴く姿に共感と愛着を覚えてしまう。
人生は常に勝利が約束されたものじゃない。それでも世の中で生きていくには戦わなくてはならない。それを悲観することはないのだと思う。ただただ勝利を得るものと敗北するものがいるだけなのだ。必要なのは敗北の後にも人生は続くのだと理解し、諦めと使命を胸にして生きていく覚悟だと思う。

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