手間のかかる趣味の話
仕事上ではあまり感じないのだけれど、生活の上ではずいぶんとコロナウイルスに振り回されている。それもどちらかといえば趣味的なところでのダメージが大きい。
実際趣味といえるものなんてそんなに持ち合わせていないのです。数少ないながらに挙げてみると、読書(大学院時代の研究の延長が半分)、お酒、ファッション(ファッションってそもそもなんだ?)ぐらいなもの。
読書のお供としてコーヒーは好きだれど、こだわって選ぶことはあまりないからこれは趣味と認めていない。酒と読書につきもののJAZZも好きではあるけど、音質とかにこだわりがあるわけではない。どちらも読書とか酒という趣味に付随するがゆえに好きなのだ。
僕はただ好きなだけのものに対して、あまり手間を掛けない。ゲームをやるのも好きだけれど、手元に置いてやりこむみたいなことはもうあまりしない。コーヒーだって味を気にせずに缶コーヒーでもガンガン飲む。(缶コーヒーのいいところはそういう気の置けなさなのだ。)車を運転するのも好きだけど、ブランド車に特に興味があるわけでもない。
一方で趣味にはけっこうな時間と手間を掛けている。というよりも、趣味というやつはなんらかの形で手間をかけないと面白くないものだ、といった方が正しいのかもしれない。
一番最近増えた趣味の一つであるファッションもそうだ。関西に帰ってきて今の職場へ勤め始めて以降、ジャケットのオーダーメイドをするようになった。これが中々に楽しいもので、皆さんにもぜひおすすめしたいのだけれど、たまに吊り服でいいじゃないかと宣うやつがいるのがいただけない。
確かにジャケットを買うだけなら、吊り服にしようがオーダーで作ろうが結果は変わらない。そもそもオーダーメイドってやつは、どんなにいいテーラーでやったとしても、吊り服に比べて手間も時間もかかるものだ。どんな生地にするかから始まって、裏地やボタンの配色、サイズ感の調整、何一つとってもテーラーとコミュニケーションをとりながら決めていかなくてはいけないし、出来上がったら出来上がったで納品までさらに待たされる。これは大抵の人間にとっては間違いなく手間といえるだろう。
しかし、その分テーラーとコミュニケーションは濃密で楽しいものになる。むしろ、オーダーを固めるまでのテーラーとコミュニケーションが一番ワクワクするところだ。そうやってテーラーとの人間関係が出来上がっていく。こうやって馴染みが増えると、世界の中に自分の居場所が増えたに思えてうれしくなる。こういう楽しさはただ吊り服を買うだけでは手に入りづらいものだと思うのだ。
お酒についてもそうだと思う。僕は一人でバーで飲むのが好きだ。バーテンダーとコミュニケーションをとりながら、今日の気分に合う酒を選んでいくあの感じが大好きだ。乏しい経験と知識をサポートしてもらいながら酒を楽しむ。こういう楽しみ方もやっぱり一人ではできなくて、自分で勉強したりバーテーンダーと話して始めて手に入れられるようになる。単純に酒を飲むこととバーにいくことはその楽しみ方に大きな違いがある。
どちらも結果だけでみれば、得られるものは大差ない。ジャケットがほしいだけならUNIQLOでも売っているし、酒が飲みたければそこらのコンビニでも買える。そういうファストな消費ができるように、私たちは世の中を便利さというもので埋め尽くしたのだ。結果は同じなのだから、といって。
しかし、結果という物差しだけで物事を比べてしまえば、世の中の大抵のことはどうでもいいものになってしまう。せめて自分の趣味の世界ぐらいには、そんな無味乾燥な尺度を持っていきたくない。手間隙かけて、同じ空間にいる人とコミュニケーションをとって始めて得られる楽しさがあるのだ。そういう楽しみ方をするものが趣味といつやつなのだ、と僕は思う。
コロナウイルスの影響で、お世話になっていたテーラーが店を閉めるのだという。残念だと思いつつも、だからといってファストな消費に走るつもりは今のところ毛頭ない。