
五十音のひびき
「日本語の教科書/畠山雄二編著」によると、「あかさたなはまやらわの順には、子音を発音する際に口の中のどの位置が使われるかが関わって」おり、まず、「子音らしい子音(k,s,t,n,h(p),m)と接近音(y,r,w)に分け」、それぞれを、発音に使う口の中の位置が「だんだん前にくるように配列されている」のだという。(※古代日本語でハ行はパ行だったとする説が有力)
発音の位置を意識しながら声に出してみる。
「あ、か、さ、た、な、は(ぱ)、ま」
国語の授業でも、日本語の発音を学ぶことはない。
とても新鮮な体験であるのと同時に、無意識にこれほど複雑なことをやっていたのかと、母国語の威力を思い知った。
日本にいれば、日本語は、人生の中で一番多く耳にする音だろう。
耳にしなくとも、目にするだけで、頭の中で音になる。
文字を読むことは、意味を理解するだけでなく、その響きを味わうことでもある。
私が今まで出会った中で、一番好きな響き。
ーカヒミカリィー ※日本の女性歌手
”カ”の強い発音と息のスピード、続く”ヒ”の空気感を、”ミ”が受けとめて、アンニュイにまとめる。
次の”カ”で少し明るさを取り戻し、”リ”のRが現代的なおしゃれさを醸す。
二つの”カ”が韻を踏んでいながら、二つ目の”カ”が”ミ”の影響で発音を弱めていること、どちらの”カ”の後にもイ段が二文字来ているが、”ヒミ”より”リイ”の音節が少なくなっていること、このふたつで、まるでやまびこのような、空間の広がりを作っている。
自然物でも人工物でもない、掴みどころのない響き。
本名をアルファベットにして並べ替えたと聞いて、高校時代、友人とあれこれ考えたが、遂にわからなかった。この子音の組み合わせなのだから、さぞ趣きのある名前だろう。
思い出したが、その友人は、私がショベルカーにときめく、と言うと、キカイキリンという名前をつけて、詩まで書いてくれた。
そのセンスを妬んだが、キカイキリンの造りはまさしくカヒミカリィだ。
20代半ばの頃、焼き鳥屋のカウンターで飲んでいたら、TVに井上陽水が出ていた。歌詞や言葉について語っており、響きの好きな言葉として「曽根崎心中」を挙げていた。
SとSに挟まれる…「Z」。私は陽水と声を重ねた。
曽根崎心中の肝は、Zだ。
”ソネ”のもどかしさを、例えばMなら間抜けにしてしまい、Gであれば打ち消してしまう。
Zの”ザキ”だからこそ、悲劇を連想させる、うっすら出ていた太陽が、すっと雲に隠れるような、不安をまとわせ得る。
そして”シンジュウ”の、韻を踏んだ短長のリズムと、”ジュウ"の濁り、減衰で「あぁ、やっぱり…」と余韻を引く。
マギリガン、キルベガン、これは何の名前でしょうか?と問われれば、ウルトラマンの敵、と答えるだろう。
どちらもアイリッシュウイスキーの商品名であり蒸留所の名前だが、CGではない、人入ってます感満点の、ゴム製着ぐるみを思い浮かべてしまう。
ガ行を含む濁音が4割を占め、RとNが使われている。即座に日本語ではないと判断できる音が、異星のものと感じさせる。
”ギリ”、”キル”のgr、krの組み合わせが、攻撃性や悪を思い起こさせ、最後の”ガン”で、図体ばかり大きく、どんくさい有様が完成する。
(ちなみにキルベガンは世界最古の蒸留所である)
言葉を文字に変換して伝達し、受け手が再生する。
文字は記録手段、意味伝達手段だけでない、音の伝達手段だ。
その文字をさらにデータ化し、どこへでも届けられるのだから、たくさんの言葉、音の疎通をはかりたい。