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ビッグ・リボウスキの何が好きか④
〜ある居酒屋にて〜
男1「すみません、注文お願いします」
店員「お待たせしました。うかがいます」
男1「生ビールひとつお願いします」
男2「俺も生ビールで」
女1「レモンサワー!」
女2「わたし生ビールお願いします」
男3「生グレープフルーツサワー」
女3「えっと〜…ハイボール」
店員「かしこまりました」
〜数分後〜
全員「カンパーイ!」
男2「女1、それちょっと飲ませてよ」
女1「いいよ〜」
男2「ありがとう。(ゴクゴク)うわっ、ジュースみたい(笑)」
男2の脳みそ、レモンサワーに口をつけて4秒で沸騰したのち内部から膨張。頭蓋骨を急激に圧迫し、前頭骨と頭頂骨のつなぎ目から爆発。脳漿と血液と脳がテーブルと床に散乱。店内パニック。
お酒を飲んでジュースみたいと言った人をサイコキネシスで爆殺しなければならない男3「かなしい…」
こんばんは。
新宿中央コーエン兄弟です。
先日観たトッド・ソロンズ監督の『おわらない物語 アビバの場合』という映画に衝撃を受けました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33495548/picture_pc_d17cca02998df7cba72ff394d60813a7.jpg)
少しネタバレするので知りたくない人は読まないでください。
まさに面目躍如、監督のものの見方ここに極まれりといった観がありました。
簡易的に申しますと、たくさんの子を持つことを夢見るアビバという少女が近所の少年に妊娠させられ、母親に半ば無理やり堕胎手術を受けさせられたら子宮を摘出されてしまいショックで家出する、というところまでが導入です。
このあと筆舌に尽くしがたい色んなことが起きます。
人の醜さや浅はかさを皮肉ったような、イデオロギーとか思想信条を絶妙の距離から俎上に載せる(料理はしてくれない。あくまでまな板に載せるだけ)ようなストーリーに心から感動しました。
これは私の勝手な想像ですが、トッド・ソロンズって、みんなが最高に盛り上がってるときに「この前オヤジが死んだので楽しむ気になれない」って言い出すタイプだと思うんです。
いや、場には来たのに!?
みんながそう思っても関係ないです。
終盤、マークという登場人物がこんなことを言います。
「人は運命で決まってる。自分は変われると思うのは間違いだ。
陰気なタイプは一生陰気。明るい子は大人になっても明るい。
痩せたり顔を引き締めたり、日焼けや豊胸手術や性転換はできても、結局は同じさ。
基本的なところは何も変わらないんだ。13歳でも50歳でも人はずっと同じさ。
(中略)
でもどうでもいい。地球は天然資源が涸れて今世紀で破滅するんだ」
原題は『Palindromes』。回文という意味です。
マークのことすらも俎上に載せてます。
無常観なのか死生観なのか分かりませんが、なにかゾワゾワするエネルギーを感じました。
物理攻撃ではないです。脳内に直接届く特殊攻撃です。
私は荘子という人が書いた本のことを思い出しました。
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↑荘子
中国の諸子百家の1人ですが、このヒゲ着物はこんなことを言ってます。
「万物斉同・無為自然」
あらゆるものは道の観点からみれば等価で、生死、可不可、是非といった相対的な区別は人為を無視すれば全部いっしょだから、自然のままに従ってさえいればそれで十分だ、と(違ってたらすみません)。
荘子の『荘子』は内篇7篇、外篇15篇、雑篇11篇から構成されてますが、内篇は特に想像力に富み、生と死、虚と実のあいだの区別がなく、人生を夢とするような考え方に基づいた寓話が複数収録されています。
あるとき、奥さんを亡くした荘子の元に、友人の恵施が弔問に訪ねてきます。
恵施はてっきり荘子が悲しみに打ちひしがれていると思っていましたが、荘子は盆をたたいて歌っていました。
あきれた恵施は荘子にどうしてそんなことをしてるのか尋ねます。
荘子いわく、「最初こそ胸がつぶれるように苦しんだが、人間が形のない世界から来て形のない世界に帰っていくのは、四季が変わりゆくようなものだ。天地で眠りにつこうとしている妻を起こすのは心ない行動に思われる。だから泣くのをやめたんだよ」だそうです。
私はほんまにそうか?と思いました。
考え方としてはわかります。
死を軽んじてるわけではなく、生と死がシームレスに同じ線上にあるから、ただこっちとあっちの違いなだけだから、大きく差別しないんだよ、と。
でもマークにとって妹が自殺するのは悲しいし、荘子にとって奥さんが亡くなるのは耐えがたいことのはずでしょう。
喜びと悲しみ、幸不幸、あいつとこいつ、内と外、ほんとは全部いっしょじゃない、でも全部いっしょという考え方もある、と言ってるかのように思えます。思えました。思うと言っても過言ではありません。
結局私は答えがわかりませんが、なんにしても生死や虚実、幸不幸を大義とせず、ただの違いとして描いた作品は好きだなと感じました(そうじゃないのも好き)。
だんだん集中力がなくなってきましたが、なにが言いたいかというと『おわらない物語 アビバの場合』はすげぇ面白いです、ということです。
色々踏まえて、ドニーの骨粉がデュードの顔にぶっかかったときやカールの脚がウッドチッパーに突っ込まれてるときのことを思い出してみました。
スティーヴ・ブシェミってほんとに良い俳優さんですよね。
逆にあなた様はビッグ・リボウスキのどこが好きですか?(好き前提)
今週もおつかれさまでした。