幹事

今朝、ジムに向かおうかと準備しようかと思ったら
iPhoneが鳴りました。
知らない番号からでした。


ジムの番号からの転送かなかとも思い、出ました。


僕の記憶にはない初めての時はいつでしょう。
彼は10代だったと思います。
僕が20歳だったので。
その後、毎回のように試合を観に来てくれました。
いい時も悪い時も。

彼は24歳だったと思います。
僕は26歳でした。
試合を終えて、ハンバーガーショップを貸し切って
応援に来てくれたファン等と打ち上げをするように
なりました。
利益は毎回、全日本が全額回収したのでありません。
来てくれた方等と一緒に写真を撮ったり、サインをしたり、
私物などを抽選であげたりしました。
大したことがないとか、揶揄されそうですが、そういったことすら
しようともしない人間にとやかく言われる筋合いはありません。


競技は選手のため、ファンのためにあるです。
勿論、いい試合をすることが仕事ですが、気持ちを添えても
いいではないですか。

ファンクラブを作る旨を説明すると駄目だと断られました。
でも、結束しました。


名前なんて何でもよかったですけど、ペインと名付けました。
僕の置かれた状況がそんなだったのです。
よく辞め(引退)なかったなと我ながら思います。

ファン等との集いは僕にとっても楽しみなものでした。


色んなことをしてきました。

いつも幹事の彼が連絡を回してくれて、それで集まって
いました。
コロナになったあたりから集まらなくなりました。
ま、これを知らない数年後の世代が出てくるまでは説明は
必要ないでしょう。
身体が弱い彼は何かあったら大変だからと大人しく
していました。
忘年会ですら来ませんでした。

試合があると着てくれるのが嬉しかったです。

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142字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。