章さん

1987年春、中学を卒業してタイへ向かいました。

初めての異国で、初めての集団生活で、でも、1週間後に
帰るという、唯一の日本人岡林(章)さんと一緒に生活しました。

タイ語さっぱり分かりません。
中学卒業時に学校でもらった英語辞書のみが頼りでした。

早速食べ物に困りました。
今は分かりませんが、いきなり水に当たります。
驚くほど体重は落ちました。

「篤史、これ食べなよ。」

市場でトマトや西瓜を買ってきてくれました。
薬ももらいました。
正露丸は効かないのに、タイの薬のそれは効きました。

帰国してからも連絡は取りあい、翌年日本でデビューしてからも
試合を観に来てくれました。
名もない新人だらけの小さな興行でも足を運んでくれました。

勝ち上がっていき、それでもそれまでと変わらず気にして
くれました。
僕にとってこの世界での兄貴分の1人です。
僕のことを未だに下の名前で呼んでくれる数少ない方です。

そのうち名前が売れて、でも、すぐに練習場所もない名前だけの
メインイベンターになります。
ファイトマネーももらえるかどうか分からないのに試合は決まるのです。
練習場所もない僕を自宅に下宿させてくれて練習の送り迎えまで
してくれました。

勿論食事も。
章さんご家族には沢山世話になりました。

「篤史、やってくんない?」

二つ返事で応えることは出来ず、自分でいいのかどうか
考えてしまいました。
1度目の電話では了承したのです。
トロフィーのプレゼンターを頼まれたので、そんな程度
全然いいですよと引き受けました。

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205字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。