15畳ワンルーム
31年前、21歳でした。
31年前と3週間前、引っ越しをしました。
この頃、試合の度に蜂窩織炎を患いキャンセル、または
そのまま出場していました。
なので、大事な試合前ですし流石に試合前に患いたくなかった
ので風水の分かる方に見てもらい、引っ越しの日取りと方角を
調べてもらい物件を探し、その日に引っ越しをしたのです。
「そんな病気知らない。」
それまでは、蜂窩織炎になる度に団体から返ってきた言葉は
そんな文言でした。
受け入れてもらいえない時はその都度、大変でした。
拳が腫れ上がり出来なかったことも、それはこの時よりも
後のことですが。
同様に首が腫れて、顔まで腫れ上がったこともあります。
これは耳の中に出来た時です。
そして、その時は尻でした。
尻の病は痔くらいしか思い浮かびません。
でも、痔ではないと思いながらも、痔を患ったことのある
方の話を聞いたりすると、どこか違うのですが、でも、そうだとして
試合終えるまで我慢出来るかなと思い、数日、やり過ごしました。
ですが、そのうち歩くことも座ることも出来なくなり、
5日前に病院に足を運びました。
体重もいつもよりオーバーしています。
タクシーで、片手をついて片方に体重を逃して、しびれたら
また反対側に体重を逃して向かいました。
恥ずかしいとかいっている余裕もなく、肛門科を受診します。
「痔瘻(じろう)だね。」
医師はマシマシな表情で云いました。
腸に穴が開いて、膿が道を作り、でも、出口がなくて
腫れ上がるといった説明を受けます。
疲れがたまるとなりやすいそうです。
蜂窩織炎も似たようなものですので、理解します。
「今すぐ切ってください。」
懇願するも、場所が場所だから入院してもらわないと出来ないと
云います。
後楽園ホールではない大会場でキャンセルは出来ないので
何度も頼んだのですが、断られました。
後にして、違う病院に向かうためタクシーを呼びます。
大きな総合病院に行き、でも、午後の診察まで2時間程
待たなくてはなりません。
タクシーに乗っていた時同様に交互に体重を逃して待ちます。
「切ってください。」
午後の診察が開始して診察室に入り、状況の説明をする前に
開口一番医師に告げました。
その後に診察台の上に横になり、
「痛いよ。」
両膝を抱えたまま声を出して泣きました。
患部の肛門に直接麻酔を打ちました。
でも、麻酔はちゃんと効いていませんでした。
もしかしたら効いていたのかもしれません。
人間の一番神経の多い場所、それが歯と肛門だそうです。
同様の痛みに未だ出会っていないので、察してください。
軽い手術をしてもらい、帰宅してスポーツジムに行き
着込んでドレッドミルを行い、バイクを漕ぎます。
4・5日前だったと記憶しています。
なんとか落として計量に向かいます。
当たり前ですが当日計量です。
試合は舞浜なのに計量は水道橋だといいます。
水道橋に向かい、計量を終えて船橋に戻ります。
客席からリングを見てみたくて、でも、一度も足を運ぶことなく
閉館してしまいました。
なので、残っているうちは船橋から何回か走って行きました。
翌日、ゴールドジム本八幡店が入っているビルの向かいに
あるビルに入っていた映画館で逃亡者を観ました。
見終えて反対口にあるドトールでコーヒーを飲みました。
ちょうど今日の今頃の時間だったでしょうか。
似たような空の色を見て、その時の気持ちを思い出しました。
そんな試合は昨日、翌日は今日で丸31年が経ちました。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。