回想録68戦目2003年6月

ヴェルファーレという場違いな場所での試合に出場します。
その場所に、プライベートで一度だけ足を運んだことが
あります。

ソウルの代名詞、ジェームス・ブラウンのライブに足を運んだ
のです。
1950年代60年代のオールディーズを聴き始めた15歳の頃
から聴いています。

中学3年生の夏、名良橋と観に行ったロッキー4にも出演しています。
アポロの入場曲で、中年太りのJBが唄うのです。
大分時を経て、生は最初で最後かなと思い足を運びました。
名曲の数数を、場違いなディスコで、でも、ファンキーに決めて
くれました。
要所要所で、疲れてスピーカーに腰掛けて笑いを誘ってくれました。

六本木、足を運んだことは殆どありませんが、思い出の1つです。


全日本を退団して、ニュージャパンも退団して、でも、
奢っている訳ではありませんが、どこかしら声がかかる
気ではいました。

多分この頃だったと思います。
違ったらごめんなさい。
似たような精神的な時期と解釈して、ご容赦ください。

週刊プレイボーイから名良橋と対談の依頼を受けました。
嬉しかったのです。
落ちぶれた自分の存在がもう少し、残せるような気がして。

自宅近くの喫茶店で行うことになりました。
ライターはゴング格闘技でライターをしていた方でした。
「子供のことと結婚していることは記さないでください。」
お願いしました。
「大丈夫ですよ。」
承諾してくれたので家族を紹介しました。

団体も決まっておらず、ファイトマネーの交渉に支障が出ると
思ったのです。
「結婚して生活が苦しいのは、あいつの勝手だ。」
全日本時代、ある人気選手のファイトマネー値上げの懇願を
広報がそう切り捨てたのを耳にしていました。

なので、自分が結婚したことも子供が生まれたことも公表
しないできました。
同じリングではないにしろ、家庭を作って子供まで作ったのは
こちらの勝手なので、何云われても仕方ないと思っていました。
なので、公言しませんでした。
団体側と、関係者の尻の穴が如何に小さいかということ
を踏まえた上で、自覚していました。

「大丈夫です。分かっていますよ。」
理解したように見せてはくれていたけれど、掲載されたそれには
記述してありました。
題材である選手のことなんて、ライターからしたら関係ない
というのか、書かれる方が悪いとでもいうのか、マスコミからの
対応はこれまで幾度か記述しましたが、酷い人間がのうのうと
息しています。


「今までファンだったけど、もうあなたの応援をやめます。」

文句を云ったら集英社の担当編集者からメールが来ました。
謝罪もありません。
「書いてしまったもの勝ち」
安っぽい90年代前半の格闘技のそれみたいでした。
以来、週刊プレイボーイは触ることもしていません。

ヤングジャンプに連載されている「リアル」ですら一度は
買うことを拒んだ程です。
でも以来、集英社の雑誌は個人的に買っていません。
関係なかろうと嫌なものは嫌です。
そのライター、名刺はまだ持っています。
消えていてくれれば幸いです。
最低限のルールは守って欲しいと思います。


その後、IKUSAという団体からオファーが入りました。
とりあえず、助かる額のファイトマネーの提示でした。
でも、準備期間は必要だけれど、流石に秋までは生活が
出来ません。

なので、近近の興行にこちらから打診しました。

そして決まりました。
勿論、次の興行も出る予定でした。
でも、敗れてなくなりました。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。