ざまぁみろ!
匍匐前進程度ではありますが、意欲はあります。
少しでも前へ、そう思います。
なので、通販サイト構えていますがあまり宣伝は
していません。
全ての商品・サイズ、在庫を十分に抱えている訳では
ないですし、興味がある方のみでまだ十分だからです。
昨日、東京と神奈川県に数枚発送しました。
珍しく「ざまぁみろ!」Tシャツの注文が入りました。
珍しく、そう記しながらこのところ増えてきてはいます。
肩掛けグローブがやはり多く、どちらも自分の考えたグッズなので
嬉しいのですが、でも、「ざまぁみろ!」の方が愛着というか
可愛さがあります。
肩掛けグローブが可愛くないわけではありません。
どちらも自分が考えたものです。
でも、「ざまぁみろ!」に必要以上の想いが籠もっているのも
また事実です。
本日、頂いたご注文、帰宅次第在庫確認してあるようであれば
今夜準備して明日、発送します。
戻ります。
「いつか、自分のグッズを作れるような選手になりたい。」
デビューもしていない、そんな中学生の頃に思い描いた妄想ともいえる
無謀な将来への願望を、いつからか現実に持ち込むようになって、
20歳の頃に実現します。
実現出来たこと、大抵中学生時代の頭の中に描いたことです。
自伝の出版もタイトルも。
著書が然程売れなかったのだけ、自らの文章や表現能力不足と
存在力不足です。
当時、選手個人のグッズなどない時代でした。
興行に足を運んだ思い出作りとでもいいましょうか、普段着れない
ようなデザインの、薄い首がすぐに伸びてしまう様なTシャツ等が
大きなスポーツなどの会場入口で販売していた程度の時代です。
参加賞とでもいいましょうか、観戦記念の思い出作りで済ませる
のではなく、普段着に出来るようなそれを作りたかったのです。
デザインといえたものではないでしょうが、中学生の頃から
考えていました。
ちょっとおかしい子供でしたからご容赦ください。
高校生の授業中もテストの最中も、ノートや答案用紙に描いたり
していました。
トランクスの「Asshi」は15歳の頃にタイで午前中の練習と
夕方の練習の合間や、夜、布団に寝そべりながら描いたりした
ものです。
キックボクサーはゴシック体や明朝体のみのありがちなフォントの
トランクスのみでした。
それか、国内で刺繍を入れた漢字のものくらいです。
なので、みんなと同じが嫌だったのでオールドロンドンのフォント
を使って自分のロゴを考えました。
オールドロンドンの大文字のフォントは、ディフォルメが凄いので
何て書いてあるのか読めません。
なので、ボクシングでも頭文字だけの1文字だけをトランクスに
使っている選手ばかりでした。
1文字だけでも読めないアルファベット、いくつもあります。
それをお客さんに読ませたいという思いで、頭文字以外全てを
小文字にしました。
「Asshi」
それが、そのトランクスです。
見た目も恰好よく思えました。
文房具屋で、そのレタリングシールを買って、なければ置いてある
文房具屋を探しまくって買いました。
1文字2つ程度しかないので、その度に買いに出ました。
ルンピニー公園前にあった「ロビンソンデパート」だったと
思います。
午前の練習後、エアコンなしの扉のないバスに乗って2バーツ
(当時16円)で向かうのです。
3階だかの文房具店で購入し、1階のファストフードでコーヒーを
飲みながらそれをコインで1文字ずつ擦り、「Asshi」のロゴを作った
ものです。
それを見本として残して置きつつ、手描きで真似て大きく描いて、
縁も描いて色を塗り手書きのトランクスの絵も描いて、それに色を塗って
2・3枚を業者に渡し注文します。
自伝に記した通りの、中学生の頃の論文の流れです。
左足には「CHALLENGER」の文字を入れて自らを鼓舞します。
「俺はこの人生の挑戦者だ。」
恥ずかしいですが、そんな身の程知らずの図図しい想いで
いました。
その時の想いを忘れたくないからずっと、使ってきました。
15歳のタイでのデビュー戦も翌年の日本でのデビュー戦も、
先日の100戦目も勿論、その頃の想いと一緒にリングに上がりました。
20歳の頃に僕の名前が売れてきて、でも、その頃までは誰も真似しません
でした。
簡単です。
真似したのが分かるから嫌なのです。
ですが、世の中は8対2です。
誰かが真似をし始めたら8割は便乗するのです。
足首のテーピングもそうです。
でも、名前の全てを大文字で使う選手が大半でした。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。