ガソスタ

今時の略語が嫌いです。

なので、出来るだけ使わないようにしています。
「キムタク」
一度も吐いたことはありません。
「モー娘。」
以下同文。

「タテアツ」
僕を茶化してそう呼ぶ人いましたが、恥ずかしいから
やめて欲しいと思ってきました。

色色とありますが、でも、あえて使わないできました。
きっと、自分らよりも上の世代の方がそういえばそうだったなと
確認すること頭の中で度度です。

流行り言葉、出来るだけ使わないできました。
恥ずかしいからです。
流行りの何某、服装であったり他の何かであったりも同様です。
のちに恥ずかしくなるか否かが自分の予想ですが、そこが
判断基準です。

「昔は恰好よかったのよ。」
テレビに映るどう見ても恰好よいと思えない身なりに親は
代わりに弁解していました。
幼少期のそこで判断のハードルが決まったままなのだと思います。

勿論、食べ物についても同様です。
先日記したティラミスが例えやすいのでそれでいうと、
あえて食べないで、口で発しないできました。
それを口にするとお洒落みたいな顔して会話に練り込む同世代に
辟易していた方です。

僕はというと、京樽のバッテラに緑茶を勧めてダサいと
煙たがられる側でした。
チーズバーガーに砂糖を入れたブラックのコーヒーについては
「コーヒー飲めない。」
と、一笑に付されて終わりです。

なんでもブームです。

ブームの時に反対だったものがブームになればそれに乗るのです。
僕も乗っていたものもあるのかもしれません。
あえて拒む側を意識してはいますが。

「ガソスタって云うの?」
なので、ガソリンスタンドに行くという話になった際、会員が
略して云うので確認しました。
車に乗らない僕は灯油を買う以外で入ったことがないので
それがよく使う側なら使う呼称なのかどうかが気になりました。

「自分は昔からそう云ってきました。」

親子ほど歳の離れた青年にはそれでよいですが、今更僕には
云えません。
あえて拒む側でもありますし。

「まじ?」
小学生の頃、流行り始めました。
「本気と書いて「まじ」。」
茶化したそんないい回しも流行りました。
まじじゃなくて本当といいなさい。」
それが嫌な母は、直すよう云いました。
語尾にじゃんもその頃だっと思います。
元元は神奈川県で使われていたそれが誰もが使うように
なりました。

最初は馬鹿にして使わなかった母も、時を経て世の中に
浸透していくに連れて使うようになりました。

記していながら気づいたのですが、きっと親から譲り受けた
考え方なのだなと思います。
今頃気づくなと言う話ではありますが。
そして、その親から見ても「変わり者」だそうな僕ですが。

昨夜、父の携帯に電話しました。
1995年3月20日を思い出します。
当時、父はその駅を通勤で使っていました。
テレビで霞が関駅上空が映し出され、サリン事件を知りました。
携帯電話を持ち始めた頃です。
時代の便利さに背を向けてあえて持たないと強がる大人も多く
いました。
父は、似たような側ではありましたが職場がNTTの為、持っていました。
なので、電話するのですが繋がらなくないのです。
何度電話しても通話中になるのです。
当時、混雑した所では繋がらないことが多くありました。
でも、安心したいため父の安否が気になります。

しかし繋がりません。
声が聞けたのは夕方でした。
「父ちゃんは1本前の電車だった。」
父の携帯に電話する度にあの日のことを思い出します。

「誕生日、おめでとうございます。」

丁度1ヶ月違いの昨日は父の誕生日です。
「もういらないよ。」
おめでとうも年齢も、なのでしょうことは分かっていますが、
「まだまだ云わせてもらいますよ。」
笑いながらそんな会話をして電話をきりました。

「やらしてやりなさい。」
「行かせてやりなさい。」
母が決して悪くはないのですが、そして母にもとても感謝
していますが、
キックボクシングを始めさせてくれたのも、中学卒業して
タイに行くことが出来たのも父の一言で、だったので特別な
感謝の気持ちがあります。

自分の誕生日ではないのですが、でも、とても大好きな日なのです。


今日は10時の予約から始まりました。

競馬が好きな会員と話します。
最近、予想だけ連敗中です。
勘が働かないので予想だけにしています。
今日は根岸ステークスです。
ブロードアピールの追い込みの凄さに見惚れます。
You Tubeで何度も何度も観ています。
その話になって、でも、やめます。
それを観る度に思い出すのです。

あの日のことを、です。
でも、知らないであろうから口にはしませんでした。

「そういえば立嶋さん、名良橋さんと同級生なんですよね。」

なら、話は早いので、あの日のことを話します。

昭和61年、中学3年生でした。
僕のクラスは、決して早くはないメンバーだったと思います。
僕は観る側でした。

「そうそう、さっき云おうとした話ね。おいらの
中学3年生の体育祭のリレーでね、半周差つけてたのね。
アンカーの名良橋に最後ゴール前で抜かされて終わったの。
凄かったんだよね。それを観る度に思い出すのよ。」

根岸ステークスでのブロードアピールの末脚を見る度に僕は
あの日のことを思い出します。

アンカーの1周で最後に見事に差し切って見せたのです。
あの時の全校生徒の驚きと歓喜が入り混じった歓声は、今も
鼓膜が記憶していて、思い出しては聞いています。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。