余計なこと
父方の実家は和歌山県紀伊勝浦にあります。
母方の実家は栃木県宇都宮にあります。
僕にとって随分と前から立嶋家の墓参りをこの足で行うことが
この人生の最大の目標で、今年の夏に挑戦するつもりでした。
出来るかどうかなんて分かりません。
ただ、何回もしたくないので1度目で終わらせるつもりでいました。
ええ、分かっています。
ですが、今年の夏はどこにも走って行くことが出来ませんでした。
それが悔しくて先日記した通り、それに似た目標を探しました。
ということで、母方の墓参りをすることにしました。
栃木は関東ですし、近いです。
銚子に行くような感覚です。
太字部分に戻ります。
分かっているのはこれまでの経験からくるものなのですが、
100km程度とはいえ、知らない場所は達成しづらいという
意について、です。
初めて銚子まで走った時もそうでした。
距離感が分からなかったり、道が分からないと体力を必要以上
に奪われます。
翌年、銚子まで辿り着くことが出来ました。
その翌年、館山まで走りました。
それよりも遠い館山までは翌翌年走って行ってしまいましたが、
その翌年から始まる富士山走なんて正しくそうです。
なので、最初の年は麓までを目指して走りました。
「登ってねぇのかよ。」
名古屋の彼が掲示板に揶揄して勝ち誇っていましたが、
きみは麓まですら走れないので大人しくしていなさい。
最初は道やその他を含めた距離感を知ることが大切です。
iPhoneで道を調べることが出来るのでそこは毎回助かって
います。
何回か失敗したのはiPhone 4や5の頃の話です。
その4や5の頃に銚子までを目指したのですが、マップの自分自身の
現在地を示す緑の点がしばらくしてから全然違う方向に移動する
ということもあり近代化の便利さの中に、不便さを感じました。
翌翌年の富士山麓まで走った時も同様に。
富士山走はいつか復活したいと考えています。
登りたいという会員の声もありますし、全登山道を自宅から
往復したい気持ちもあります。
気分を害さないでください。
ただの遊びの話です。
これらは休みを利用した自分の遊びです。
来年の夏、父方の墓参りを済ませ、その前に母方の墓参りを
済ませるつもりでした。
「なら、今年でいいじゃん。」
母方についてそう思いました。
でも、気温が心配でした。
夜間、温度が下がると堪らない程体力が低下します。
先送りにした先月末は、夜間10度程度でした。
日常的な生活するだけなら大したことのない温度です。
でも、外に居続けると体温が奪われるのです。
今回は夜間18度だったので、行けると思い込みスタートしました。
栃木県に行くには、柏まで登り、利根川を渡らなくてはなりません。
そこから茨城県を経て、栃木県へと入ります。
富士山へと同様に道は全部登りです。
月曜日の夜、船橋を出るつもりでした。
時間かかっても水曜日の夕方まで時間はあるので野宿は出来ないに
しても、めぼしい場所に移動して暖を取るなり夜を明かすなり
出来ると思ったのです。
火曜日の夜になってしまったら宇都宮の駅前まで出ればとりあえず
サウナかネットカフェぐらいはあるだろうと思ったのです。
でも、月曜日が結構忙しく寝ることを優先してしまいました。
ですが、火曜日早めに出れば問題ないだろうと高をくくって
いました。
夕方、船橋を出ました。
柏までの道のりを明るいうちに過ごせるので、いい気になりました。
柏市に入る前に陽が落ちて、16号跨いでからが真っ暗でした。
車乗る人には分からないかもしれません。
本当に真っ暗です。
利根川を渡る橋、本当に長いです。
人、一人もいませんが、でも、周囲に気をつけます。
その前に柏市に入って寒さを覚えます。
茨城県守谷に入ります。
小学生時代、守谷高校が冬の高校サッカー選手権の常連だった気がします。
青いユニフォームに白で守谷とプリントされたユニフォームが
記憶に残っています。
iPhoneのルート通りに進むも真っ暗です。
街頭もない、足元も見えない道です。
明け方まで本当に怖い時間を進みました。
少しずつ明るくなって気づきます。
田んぼと畑ばかりで、街頭がありません。
やはり、夜に船橋を出て、陽が出る頃にこの辺を走る
べきだっかなどと反省しながら進みます。
手前で陽が昇っていたとしても奥に行けば結局落ちるので、
日中と、陽が落ちる場所をいつも考えて走ります。
柏のあたりで縁石をトゥーキックしてしまい、右足の
親指が我慢できないまま、進みました。
「今、襲われたら逃げられるかな?」
とか。
360度真っ暗な場所、日本には沢山あります。
僕も経験はあります。
富士山までや銚子、他にも。
日付が変わる前、水海道駅を通ります。
「みずかいどうって書いて、みつかいどうって読むんだ。」
僕の苗字や名前、そして地名好きになる道を開いたのは
父です。
散散馬鹿にされましたが、知らないことは恥じゃない。
知ろうとしないことが恥ずかしい。
そんな同級生沢山いました。
水海道駅前でたこ焼きを買ってくれるので、いつもその辺に
来る度に胸を踊らせたものです。
ルイ・アームストロングやエルビス・プレスリー、オールディーズ
の曲や松山千春のその曲らをよく、父は流していました。
僕も大好きです。
「季節の中で」
この曲が流れると、今も夕焼けに染まる景色を後部座席で眺めていた
自分の僕の視界を思い出します。
「昔は綺麗だったんだ。石原裕次郎がこの近くに別荘持っててな。」
手賀沼を越える際、いつも教えてくれました。
陽が落ちかける頃に渡る手賀沼は、当時日本で2番めに汚い
湖とかでしたが、夕焼けに染まるそこは綺麗に見えました。
初めての場所で100km程度を完走したことは幾度も
ありますが、悔しいですが出来なかったことは糧にすれば
ドローです。
この足で墓参りに行きたかったです。
道は悪いし、あの田舎道は苦手だし、二度とやりたくありません。
だから、本八幡のスクールをサボってでも行きたかったです。
1駅手前の駅手前で諦めました。
1駅手前ですが20kmあります。
辿り着く時間、その過程、辿り着くことが出来なかった時の
ことを考えて、下妻過ぎた辺りで断念しました。
誰との競争ではありません。
またやればいいのです。
スクールに間に合わなかったらのことを考えて、断念して
小山に向かいました。
その前にコンビニ前で朝食を食べました。
富士山往復のYouTubeの動画やこれまでと同じです。
ただ、15分程度座っただけで筋肉は固まってしまい、
立ち上がることも歩くことも困難になりました。
急激な披露は、たった数分で乳酸が驚くほどの速さで凝縮
されて固まるのです。
わかっていましたがやってしまいました。
戻って、両親に電話しました。
もう高齢なので、元気づけたかったのです。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。