ざまぁみろ®️
何度も記しましたが、ご存知でない方にも向けて
記しています。
ご容赦ください。
ことの始まりは中学3年生の頃です。
細かい妄想の、という意味ではです。
中学2年で始めて、調子に乗って膨らんでしまったのです。
いつか、自分のグッズを作ってもらう選手になる。
それが目標の1つでした。
以前にも記しましたが、本当に細かく目標を設定したのです。
自伝云云の様に。
トランクスなどは15際の頃から自分で考えて描いた
それを履いています。
17歳で高校生になった時に、Tシャツを作れる店を
見つけて、授業中や深夜に落書きした髑髏を使い、
作りました。
そして、Tシャツも作りました。
販売してもいいようなそれではなく、安っぽいペイント
でしたが嬉しくてよく着ていました。
17歳の時、新人戦のメインイベンターになって、
その日にその髑髏がペイントされたガウンを着ました。
自分のグッズとか考えるだけでモチベーションが上がって
練習や減量、頑張れたのです。
個人では僕が始めてだと記憶しています。
高校3年生、といっても20歳でしたが、1992年夏に
団体がTシャツを販売してくれるといいます。
なので、「なら、自分で考えたのを作りたいです。」と、
自分の意見を云いました。
とはいっても高校の試験中、答案用紙に落書きしたそれを
使ったのですが。
「田中(誠一)さんの描いたイラストのTシャツがいいです。」
自分以外のものではそんな意見も出して実現しました。
以前にも記したことと重複するのは最近、ここに来るように
なった方に分りやすく説明したいので、ご容赦ください。
自分が考えたもの以外の商品も販売しました。
23歳頃、古着屋の友人を通じて新しいのを始めました。
肩掛けグローブは20代前半のこの頃に考えたのですが、
でも、以前にも記しましたが、その頃はまだ手描きのそれを
デジタルに出来なかったので、そして、肩の縫い目をプリントする
術がなく実現できませんでした。
なので、手描きのそれをアイロンプリントで作ってもらい
会場で販売したりしていました。
選手個人が物販をしてはいけないと、連盟からクレームが入り、
場所代を請求されました。
試合後のハンバーガーショップ貸し切っての打ち上げも
利益は全部団体に支払うよう命じられたのでその様しました。
試合後行うそれは毎回ノーギャラで、でも、盛り上がったので
やった甲斐あります。
それぐらいの頃から「ざまぁみろ!」Tシャツは作り始めました。
肩掛けグローブは26歳の頃だったでしょうか。
始めて作ったそれは、まだ持っています。
何も知らないところから独学で全てを始めたので、大分時間が、
ええ、「おおいた」時間がかかってしまいました。
物販のサイトも調べて作成し、展示会などに足を運び納得のいく
商品を作ってくれる業者を探し、見つかるまで何度も。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。