M-1グランプリ
Fire TV Stickを購入してからというもの、よくM-1を観ています。
時に頻繁に、時に毎晩、そして寝るまでのBGMにして
付けっ放しで眠ります。
好きなものは飽きるまで、というか飽きることなくとことん
観続けます。
映画同様に、漫才も一つの作品です。
特に、このM-1は惰性ではなく生生しい緊張感が感じられる
ことも惹きつけられる理由の1つです。
音楽も同様ですよね。
いつ見ても同じ様にしか唄わないアイドルよりも、一期一会感
十分に感じさせてくれる唄い手の曲が聴きたいのです。
テレビで見るコント等の面白さもありますが、この実戦さながらの
空気を感じさせてくれる勝負の漫才も最高に楽しめます。
なので、毎年楽しみにしています。
リアルタイムで観ることが出来たとしても録画して、幾度も
見返します。
その昔、CMは早送りして、そんな例えすら後に化石になるので
しょうが。
もう、なりかけですが。
このM-1、関係ないのは分かっていましたが、拒んでいた
時期があります。
M-1を観るようになったのは2005年からです。
正道会館がやっていたK-1の流れで名付けられたと思う
からです。
少し前まで、その団体名を表記したり、口にすることも
しませんでした。
勿論、自分の力だけではありませんが、人気は勿論、自分が
作り上げてきたキックボクシングの面白さや、分かりやすさなど、
上手く横から持って行った感じが拭えないからです。
そもそもその競技ではなく空手という競技なのにも拘らず、
そして、帰り道を残して他所の畑に足を踏み入れた感が
拭えないどころかそのままです。
なので、嫌悪感を出しました。
さらに軽量級も作って乗っ取られる感、満載の危機感があった
ので尽く、オファーは蹴りました。
未払い分が帳消しになる程の、驚く程の高額を保証される
そうですがお断りしました。
他所の競技といい張るのならどの道出れませんし、自分を
変えてしまうことになるので、それでよいのです。
断って、貧乏だろうと我が道を行く方に恰好よさを見出した
のです。
色色云われましたが今も間違えているとは思いません。
僕が出てしまったらキックボクシングがなくなってしまうと
思ったのです。
自惚れと云われてしまうかもしれませんが、そう思ったのです。
そして、自分が口にしてきたことを曲げることが、全部失くして
しまう気がして嫌だったのです。
実際、僕が出たとしても何も変わらなかったのかもしれません。
ただ、僕は全く違うものになっていたでしょう。
今よりも著名になって色色と得ていたとしてもそれは、
口にすることも実に要領よく、薄っぺらいそれになっていたに
違いありません。
後になくなって、キックボクシング関係者が再興します。
今のには、他意はありません。
でも、分かり辛いなと思います。
微妙にルールも違い、肘打ちがなかったり、5Rではなく
3R制になったり、どちらかというとボクシングキックに
なってしまった感があります。
急いだバランスの悪い細かなリズムな感じがするのは僕だけ
でしょうか。
しかし、です。
本場のタイが3R制を導入したり、オープンフィンガーグローブを
つけたり、競技としての先進国が後進国に合わせる為に質や
分かり易さ等、落ちてしまった感が否めません。
勿論、本番のレベルだけが下がった訳ではなく、海外の
レベルが上がったということもあると思います。
日本人も強い選手が大分増えたと思います。
どうなってしまうのかなと思うことがあります。
果たして頑張ることにどれだけ意味があるのかな、大分前から
考えたりしています。
今の盛り上がりは盛り上がっているから便乗している
大した興味のないファンが盛り上がっているだけのもの
だと思います。
サッカーですら、一度は驚く程人気は落ちて、でも、その球技には
オリンピックやW杯があります。
歴史あるラグビーですら、国内の人気はその後耳にしません。
僕だけが知らないだけなのでしょうか?
でも、ラグビーを知らない自分の耳に届かない程度のものに
なってしまったのだと思います。
五郎丸の真似して喜んでいた人たちは今は別のものに夢中に
なっているのでしょう。
キックボクシングは、どうなってしまうのでしょうか。
そういう流行りに、周りに、横に合わせて、人気が落ちて
そこから再興の為に努力する羽目になるのなら、出来るだけ
早めに体制を整えることの方が賢明に思うのですが、でも、
そんな一選手の見解など意味ないでしょう。
旬の選手が身体と気持ちを張って明言すればまた、違うので
しょうが、今の人気選手らは皆、どの様な意見を持って
選手生活を送っているのでしょうか。
今はネットやSNSなど、個個からの情報発信が自由なので
幾らでも出来ると思います。
僕が知らないだけなのかもしれませんが。
なら反省しますが、同業者の僕程度に届かないのであれば
もっと、アピールの仕方を考えるべきだとも思います。
面白いこと考えても取材に着てくれやしない時代の、扱いの
選手でしたから、もっというと、選手としての存在すらない
中学生時代から質疑応答考えてきました。
自分が辛かった時代を自慢したいだけなのだなと考える
方も
いるかもしれませんが、卑屈にならないでください。
今は手段が豊富なのにもっとやり方はあるのになという
ことが
いいたいのです。
その競技や団体、自分自身がどうありたくてどうあるべきなのかを
1人1人上手に伝えればもっと盛り上がるように思います。
話を本題に戻します。
でも、そういうことを抜きにして観て観たい誘惑に負けました。
ブラックマヨネーズが優勝した2005年のそれを観て、
TSUTAYAから借りて、これまでのを全て観ました。
どうでもよくなる程、面白かったのです。
当時は、交通事故の後遺症を抱えながら、裁判しながら息子と
2人で生活していました。
練習が出来る場所もなく、そもそも練習など出来る時間もなく、
もっといえば練習等出来る身体でさない当時の僕の楽しみは
楽しめる何かを見つけることでした。
自分に賭けることが出来ないなら、競馬に夢中になり、
自分の予想に賭けること、勝ち方を考えることが楽しかった
のです。
お笑いは心を和ませてくれる為、観ているだけで楽しめますが、
でも、その笑いの中の勝ち敗けに生きる人たちの大会を観る
ことを同様に、なので、はまりました。
見終えたら、ネタのみを見返して、気に入ったネタを再度
見返して、今はスキップすればいいから便利な世の中になりました。
スキップしたら最後が再生されて結末を知ってしまうことも
度度あります。
ボクシングやサッカーなどもそうです。
幾度か観たら審査員のコメント等に耳を傾けて、どの様な
意図のそれなのか考えたりもします。
観覧者の著名人へコメントを求めたりもします。
そこは素通りすることが多いのですが、2005年の丸山弁護士の
コメントが気に入っています。
「面白いことを云おうとすると、面白くなくなっちゃう。」
そうなのです。
プロと素人ではそこが違うのは当たり前なのですが、
そこを上手に言葉にしてくれたなと感じました。
面白いことを求められて当たり前、面白くて当たり前、
ではなく、もし、「自分なら出来るかな?」そう考えて
観る様にしています。
そう考えると、何を見ても楽しめるし勉強になるからです。
ただ、出来る出来ないというのではなく、このタイミングで、
この場面で、そう考えながら観ると、芸人の脳の瞬発力が
理解出来るし、自分の足りなさを感じて、つまらないとか
勝手に思うことが、そもそも思い上がりだということを思い知ります。
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。