尻取り日記「な」「那智黒」
ふと思い出して、それにまつわる記憶も一瞬にして
目の前に広がるということ、誰にでもあると思います。
確認したことがないので分かりませんが、でも、多分
そうだと思います。
大した機能が設置されている訳ではないのですが、
稀に誰とも感覚が合わないことがあります。
自分だけ違うという恥ずかしさは、どことなく幼少期から
あったりしましたが、でも、自分だけが突出していて
崇められるそれではなく、ただ感覚が周りと違うみたいな
ものと思います。
年末が近づくとお節料理を待ち遠しがる同級生、幼少の頃に
よく見かけましたが、大人同様にありがたがる感覚を持つ自分を
周囲に見せつけるブームに乗っているものだと思っていました。
中には本当にありがたがっていた同級生もいたかもしれません。
でも、当時よくあった漫画の中の登場人物に自分を重ねている
ものだと思っていました。
原作も描いているのも大人ですものね。
そんなことを考える、歪んだ子供でした。
叔母が亡くなりました。
父と母と姉と一緒に新幹線に乗ります。
どこかで降りて乗り換えます。
外は真っ暗でどこを走っているのか、どこに向かっているのか
分かりません。
バスが怖い乗り物でした。
視線が低い為、外が見えないからです。
母にどこかに連れて行ってもらう際、いつも怖くて堪りません
でした。
バスの床が木目だったせいもあると思います。
いつも、「怖い話」の中にいるようでした。
停車ボタンの音や色すら怖さを覚えました。
兎に角、暗さや夜が怖い時期がありました。
5歳の頃の記憶が目の前に広がって、お散歩します。
テーブルに置かれたカンカンの中に入っている飴が置かれて
います。
それが「那智黒」です。
それ以前からかそれ以降からかは定かではありませんが、
父がよく持ち帰りました。
どこで買ってきたのかは知りませんが、こちらでは販売している
場所は少なかったと思います。
今もご存じでない方は多いのではないでしょうか。
黒砂糖で作った黒飴です。
和歌山の名産品です。
黒糖パン、父はだから好きだったのだなと、小学生時代の
居間に時代と場所を移し、納得していました。
食べ物は父の影響がとても濃いので勿論、僕も大好きです。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。