1988年11月25日
昭和終わりかけの35年前の今日、僕は16歳でした。
そこに至るまでの説明は幾度も記しているのでご容赦いただける
と思います。
そう省きたがるのは、思い出したくもないのです。
なので、少しまとめます。
前戦の9月でもう、バンタム級まで落とすことが辛かった
のでフェザー級に戻すことを考えていた頃、会長は次戦に
フライ級で試合を組みました。
今でもありえないことかと思います。
昔なら、そう考えたとしてもありえない話かなと思います。
バンタム級でも無理していたので落ちないことは分かって
います。
でも、会長には通じません。
「ざまぁみろ!」に記した通りです。
ずっとジムには行かないでいたら決まってしまったから
やれと云います。
それでも断ったのですが、直前までタイに行かせてやるから
やれと云います。
そんな訳でタイに行きました。
3日前に帰国しました。
バンタム級までは落ちたのですが、そこから落ちません。
そこからは落ちません。
あの時の3日間の絶食絶飲の辛さとその日一日の辛さを
忘れたことはありません。
絶食の期間、吸った息を吐き出して嗚咽を吐いたことも。
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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が
思うこと、感じたことなどを日日綴ります。
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
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100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。