高橋ナオト
高橋ナオト氏と連絡が取れないかという件で先日、
某テレビ局から電話をいただきました。
Facebookのタイムラインに彼が映っている指導の様子等を
見かけることがあるので、それで連絡してみたらどうかとお伝えしました。
もう、昔の携帯番号とかではないでしょうし、連絡は長いこと
取っていないからです。
誰とも特別仲よくしない代わりに、誰とも喧嘩はしない。
それが僕のルールです。
僕のことが嫌なら嫌でよいのです。
簡単です。
縁を切ればよいのです。
そういう場合、捨て台詞を吐き捨てる方が多いですが、僕はそういうのは
嫌いなのでその際は手で払いのける仕草をして、去る様急かします。
悪口というよりされて嫌だったことくらいは云いますが、それも不快な
想いをして、既に仲よくしない人間に対してのみです。
その様なことを云っておいて仲よくしたり、付き合ったりはしません。
和解したりすることが稀にありますが、その際はそれを機に
やめます。
その後、嫌なことがあっても云いません。
それとなく付き合っている癖に陰で云うのは嫌いです。
自分も陰口叩かれているでしょう。
いいのです。
そんなことは気にしません。
でも、その代わり仲よくしないで欲しいと思います。
陰口叩いておいて、仲よく声かけてくる人の気持ちが理解できません。
なので、その人との付き合いの深さにもよりますが、間接的にも
関わりたくないので周囲とすら疎遠になります。
後述に繋がります。
数日前のその日に戻ります。
ロードワーク中の電話だったので、Facebookで
こちらも探してみると簡単に説明して
「連絡ついたらこちらからまた、連絡します。」
そう云って電話を切って、再び走ろうと、でも、待てよ、
「ありました。ありました。要件伝えました。番号教えてくれた
ので、今から番号云いますね、」
Facebookのメッセージの履歴があったので、
それで要件を要約して送信すると、電話番号が送られて着たので
すぐに電話をかけ直しました。
番号を告げて、再び走りました。
9年前、2014年に遡ります。
Facebookのメッセンジャーにメッセージが届きました。
高橋直人氏からでした。
「こんにちは。久しぶりです。」
久しぶりの彼からの挨拶は、余所余所しい他人行儀な、でも、
丁寧な書き出しの文面で始まりました。
話はそこから20年程前、今から30年近く前の知り合ったばかりの
頃に遡ります。
当時、僕は22歳でした。
人気の絶頂だった頃、僕の試合になると後楽園ホールのチケットは
完売になり、ダフ屋の行列が出来る程でした。
そこまで表現しても自惚れでない程、キックボクシング人気を
上げた自負はあります。
各界から著名人が観に来てくれるようになり、ますます
広がり始めました。
それ以上の存在になれなかったのは僕の努力不足です。
仕方ありません。
「死にぞこない」の「格下」にも記しましたが、試合後にライターから
紹介されて彼と知り合いました。
試合翌日に電話がかかってきて、いきなり呼び出されたことも
打ちながら思い出します。
それを切っ掛けに仲よくなり、ジムを開くというので練習に
行くようになりました。
キックボクサーがボクシングジムに練習に行くことに否定的な
時代でした。
でも、僕はもっと強くなるための勉強がしたかったのです。
著書にも記しましたが、問題はいくつかありました。
裸足で練習することや、サンドバッグを蹴るということ。
足蹴にする、蹴るということはそうですが、でも、粗末にする
という語彙からくる印象のそれとは違います。
それを承諾してもらい、昼間はよくJBに通いました。
もう、練習場所がなかったので、次第に通う回数は増えていきます。
山田トレーナーにパンチのミットだけでなく、キックミットも
覚えてもらって、練習するようになっていきます。
そして、再び2014年に戻ります。
「突然連絡をしたのは、謝りたいからです。」
挨拶の後、そんな言葉をメーッセージの切り口にして、その時の彼の
日常が綴ってありました。
その頃、JBを辞めて日雇いで日日を送っている(当時)といいます。
そして、今から30年前のことを。
「あの時はごめんなさい。」
許してほしいからということではなく、もう一度仲よくして欲しいと
いうのでもない、という説明も添えて謝罪の言葉が最後にありました。
前述した通り、彼のボクシングジムで練習させてもらうにあたって、
蹴るということ裸足で練習すること等は問題ありませんでした。
当時、他のジムだったら駄目だったでしょう。
キックボクサーがボクシングジムで練習するなんてことはない時代でした。
それは彼の器量でそうしてくれたのだと理解しています。
でも、1つどうしても譲れないことがありました。
「お前さ、」
「すいません。僕のことを「お前」って呼ばないでください。
呼んでいいのは親だけです。」
幾度も口論になりました。
「俺にとってはさ、お前はお前だからお前って呼ぶよ。」
「やめてください。」
「やめないよ、俺は俺だから。」
彼とは、数え切れないほど言い合いました。
誰に対してもそうやってきました。
「お前。」
そう呼ばれることを、誰からも拒否してきました。
自分よりも上の人とも喧嘩してきましたし、更に上の立場の
人には嫌われたりもしてきました。
ジムの会長やジムの会長、先生も先輩も他の大人にも。
その度に面倒臭がられて、僕が嫌われて終わります。
烙印を押されて、でも、縁はこちらから切ります。
上の方とは、なので、浅い付き合いにしかなりません。
他人は他人、自分は自分です。
友人の部類でもそう呼ぶ方、よく見ますが、なので、そのような方とは
僕の場合、その手前までの関係性で留まります。
どんなに仲のよい友達だろうと呼ばれたくはありません。
僕が偉いわけではありません。
でも、嫌なものは嫌なのです。
僕は、自分の息子にですら殆ど使いませんでした。
本気で叱る時だけ使いましたが。
「そういう生活をしていると、お前呼ばわりされることが多く、
その不快な思いに悩まされています。」
彼の心中が綴られていました。
過去を思い出して、年下の人間に詫びることが出来る彼は
大人だなと思います。
色色とあったのだろうことを察します。
「僕のあなたに対しての気持ちは2冊目の本に記しました。
練習場所のない僕に練習をさせてくれたこと、サンドバッグを
蹴らせてくれたこと、今も感謝の気持で一杯です。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。