ドキュメントな話 尻取り日記「じ」ジョージ・フォアマン
「ジーパン」
デニム大好きですが、「ん」がついてしまいます。
「ジージャン」
以下同文。
「時間」
「ジョージ・フォアマン」
名前も存在も知っていました。
「カシアス・クレイとの、」
僕らの世代の親は当時、よく旧名で呼称していました。
そのことについては、別の機会に記したいと思います。
そのカシアス・クレイことモハメド・アリの存在も
大体のあらすじは知っていました。
中学時代、等身大のポスターを部屋に貼っていました。
やっているのはキックボクシングですが、ボクシングで
色色な勉強をしました。
僕が中学生の時に再起して、でも、どさ回りに近いそれを
していて揶揄されていた頃です。
「もう一度世界チャンピオン?なれる訳がない。」
そう云われていた頃です。
「黒いマルシアノ」19歳のマイク・タイソンが破竹の勢いで
勝ち上がっていた時代です。
阿部譲二の著書「殴り殴られ」をいつも持ち歩いていました。
格闘技通信もゴング格闘技も創刊する頃だと思いますが、
プロレスと空手ばかりでしたので、やはりボクシング雑誌等を
見ていました。
その「殴り殴られ」に若かりし日のマイク・タイソンも出て
いますが、ジョージ・フォアマンの項も勿論、掲載されています。
その頃は、勝ち進んでいるとはいえ、地方で無名の選手と試合を続け
ていたころです。
春が着て、タイで日本から持参したボクシング誌を見ていると、
現地のトレーナーや選手らは鼻で笑いました。
「マイ・ダイ(出来ない)。」
できっこない、そんなニュアンスの言回しをしました。
クルーザー級だかのチャンピオン、ホリフィールドなんか
タイソンには相手にもならない、そう口を揃えました。
確かにどこに行ってもマイク・タイソン、そんな時代でした。
確かにタイソンは当時も今も好きです。
帰国後、アサヒスーパードライのポスターを酒屋でもらって
部屋に貼っていました。
その後も記事を追い続けました。
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。