帰宅して
パソコンが原因か、wifiかは知りませんが、手こずって
今日になりました。
一昨日の、テキストです。
何を記したかったのでしょうか、タイトルだけ打ってあるここを
見つけました。
ジムのWI-FIがちょいちょい切断されます。
それがとてもストレスですが、でも、毎日パソコンを持って
ジムに来ます。
映画を観ることを毎日楽しみにして帰宅します。
でも、帰宅して動画の整理をして、動画の整理というのは
ラウンドごとに使いたい場面を数カット切り取り、
元の3分間の動画を削除することです。
10人いれば、20ラウンドになりますし、マスや
キッズの指導は更に撮影するので1日で容量は一杯になります。
なので、その日のうちに軽くしないといけません。
切り取り作業を終えたら風呂に入り、猫さんに餌をあげ、
それから自分の飯を作ります。
その後、切り取った動画を順番通りに並べ、そこにコメントを
入れます。
気がつけば2時3時、ああ映画が。
気がついたら夜が明けています。
今日は、昼から体験が入ったため12時からジムでした。
一昨日夜、指導を終えて、珍しく外食をしようと決めていました。
記念日でも何でもありません。
ただ、忘れたくない1日なのです。
ただの偶然ですが、昨日、阿部健一が選手を連れて出稽古に
着ました。
1988年、16歳と19歳の頃に僕らは知り合いました。
1988年4月、日本でデビューしました。
今と同じフェザー級でデビューしましたが対格差を自分で
考慮して、その後2戦バンタム級で試合しました。
試合感覚も出来てきて、そろそろバンタム級も限界かなと
思っていた矢先、会長は更に2階級下のフライ級で試合を
組みました。
自伝やブログに幾度も記した通りです。
なんて自分は不運なのだろう。
そう思っていました。
名良橋が初めて応援に着たその試合、彼の眼には哀れな
自分が見えていたのだろうなと思うと、余計に惨めに
思えました。
それから長いことジムには行きませんでした。
中学を卒業してタイに渡り、翌年定時制に再受験したものの、
担任の勧めで1ヶ月半で退学し、その翌春、高校再再受験して、
2年遅れの17歳で高校生になるつもりでした。
受験を終えて、合格して普通の高校生になるつもりでした。
でも、荷物を取りに行くと、次の試合が決まっていました。
結局、試合をすることになり、そのまま続けてしまいました。
それ以来、ずっと減量が苦痛でした。
体重が落ちてくれないのです。
今は市販すらされていない下剤はいつもだったし、血を抜いた
こともあります。
論点すり替えて批判されたことは数え切れません。
僕のような人間は階級を上げたら寿命は短かくなると
思います。
理由は全て記せませんが、間違いありません。
僕がまだ辛うじて現役を名乗れるのは、この時からの減量に
対する工夫があったからだと思っています。
減量が辛いから階級を上げるのではなく、落とし方や維持の
仕方を工夫してきたからだと思います。
そういうことも含めると、これまでに落とした体重の総重量は、
1屯を優に越えています。
体重の落とし方、会員らとちょいちょい話します。
ママさん会員が12kgも瘦せて、他も続いてくれています。
義務的にならないよう、自らに強迫観念のように感じてしまうと
痩せることも辛くなります。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。