尻取り日記「じ」映画な話「11・25自決の日」
三島由紀夫の存在そのものは知っていました。
16歳当時、どのようなことをされた方なのかは知りませんでした。
著名な作家だということくらいは流石に存じ上げてはいましたが、
でも、書物を読むことを苦手を通り越して苦にしていた
僕は調べることすらしないでいました。
そんなこんなで著書にも既に記述していることと重複しますが、
この日付に関係があることを記します。
この作品に関わることではありませんが、僕には関係付けられる為、
ご容赦ください。
日本でデビューしたその年の1988年11月25日、試合が
組まれました。
前戦、9月にバンタム級で試合前、減量で苦労したので、
そろそろフェザー級に戻すか、間の55kg契約でと考えて
いました。
でも、そのどちらでもない更に2階級落としたフライ級で
会長は試合を組んだのです。
「落とせません。」
幾度も断ったのですが、耳を貸してもらえませんでした。
タイで落とし、3日前に帰国する予定を立てました。
でも、タイででも、バンタム級から更に、落ちてはくれません。
利尿剤を飲み、落としました。
3日前に帰国し、絶食絶飲し、下剤を飲みました。
激しい腹痛から堪えきれず、朝までトイレで腹を抱えていました。
翌朝、父と一緒に計量に向かいました。
1人では歩けないからです。
歩いていて靴が脱げる程です。
ベルトを一番きつくして、でも、歩いていて尻が出る程です。
計量を終えた後、会長といたくないということもありました。
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。