月明かりと蜘蛛の巣
誰しもそんな言葉を幼少期から使っていると思います。
そんな説明を大人から受けたことも同様に。
田舎という程の場所ではないにしても都会ではない
場所で育ちました。
なので、理解してきたつもりです。
住んでいる棟の隣が森でした。
親を怒らせると連れて行かれ、木に縛られます。
親の顔が見える日と、そうでない日とがあります。
見える日は、草木や親の表情に影が出来て怖いのです。
見えない日は見えない日で怖いのです。
まじまじとそれを体感した日でもありました。
月明かりによって足元が見える時と、小型ライトを使っても
自分の足しか見えなかった時も。
iPhoneの示す道なりに進んだら墓に出て、それでもそこを
通らねばならないと思い、直進するも道はなく、仕方がないから
墓等にお詫びして後にすると、そんな説明は最初からしていないと
ばかりに道のりの表示が変わっているのです。
街頭もない只、だだっ広い田んぼの中の道、同等の川沿いの道、
真っ暗な道を数時間進みました。
コンビニはなくても我慢しますが、何故ゆえにこんな道をiPhoneは
候補に選ぶのか不安になり、なんならアイフォーンといい続けてやろうかと思う程です。
そして夜明け前、いい加減に通りに出ました。
街頭が沢山あるわけでもなく決して整っている道ではありませんが
真っ暗よりもましです。
コンビニ、全然ありません。
どれだけかかったでしょう。
これまでで、今回が一番多かった気がします。
走っていて蜘蛛の巣が顔に引っかかるのです。
子供の頃からそれが嫌で、でも、誰も共感してくれなくて
その話をすると訝しげな顔をされてきました。
大人になって、1人2人いた程度でしょうか。
普段でもあります。
交差点でもなります。
駅構内や人混みでもなります。
昨日一昨日もそうです。
橋を渡っている時、コンビニの駐車場、走っている時、
顔に蜘蛛の巣が引っかかるのです。
ええ、辺りに巣など出来ない場所で、です。
特別な何かではないのでしょうが、足元も見えない
真っ暗な道でそれになると、鬱陶しく思いました。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。