妄想癖

世の中、分からないことだらけです。
今の科学を心酔して、分かったふりしている同級生は
大嫌いでした。

僕よりも勉強は出来るかもしれません。
勉強出来る人にも分からないではないか、そう思った
未熟な時を過ごしたことがあります。

ええ、そんなまま成長してしまった暁には、もれなく
こんな自分が出来上がります。

本題に入ります。

そういう性格なのか、自分自身がそういう性能なのか
わかりませんが、でも、両方だと思います。
小学生の頃から、それについて考え始めると頭が痒くなるまで
考えます。

考えても考えても答えなど出ないのです。

でも、間違いなく答えはあるのです。
答えはあるにも関わらず、それを見つけ出す手立てが
ありません。

なので、ひたすら授業中考えて、そして頭が痛くなるのです。

校門の前の桜が初めてだったと記憶しています。
毎朝通り過ぎて校門を潜る度、何枚の花びらが舞ったのかが
気になったことが切っ掛けです。
落ちた花びらは今、何枚あるのだろうと気になって数えたくて
たまらない気持ちになりました。

以来、桜を見る度に、舞っている花びらの数が気になって
仕方なくなりました。

時を経て、5年生になります。
3階の校庭が見える窓際の席だったことがいけませんでした。
雨の日、授業などほっぽらかして外を眺めていました。
視界に映る雨粒の数が気になって仕方なくなりました。

答えは間違いなくあるのです。
しかし、調べるその術に心当たりがないのです。
もどかしくて堪らない気持ちになります。
時間は残酷に過ぎてゆきます。
僕から勉強をする時間を奪って。



大変申し訳ございません。
只今、やってはいけない嘘をついてしまいました。
勉強に限ってはする気は1mmもありませんでした。
勉強から逃げて外を眺めていました。

ただ、雨の日に校庭の水溜りをずっと眺めていたことは
本当です。
今、何粒あの水溜りに落ちたのだろう。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。