元永さん
幾つかを経て、初めてのそこの取材を受けたのは20歳だったと
記憶しています。
「ぴあ」が僕の取材をするといいます。
最近の人は知らないでしょう。
昔はその「ぴあ」を購入し、イベントのチケットを求めた
のです。
音楽、スポーツ、芸術、映画等等、あらゆる分野での日程や
開催場所等が掲載されていて、老若男女隔てなく求める雑誌
でした。
映画に関しては都道府県別に、関東のは首都圏のみの掲載ですが、
上映される作品、上映中の作品等の小さな写真の下に簡単なあらすじ
が記載されていて、それを読んで興味の笊にかけるのです。
劇場、上映作品、上映時間等のタイムスケジュールまで細かに掲載されて
いて、それ一本では集客に乏しそうな作品は、他の作品のおまけのように
して、合間に見ることが出来る同時上映なんてのもありました。
小学生の頃はお小遣いが足りなくて、なので、毎週購入する
ことは出来ず、母の新聞配達のお手伝いをしてもらった小銭で
買ったりしたものです。
表紙の及川正通氏のイラストが毎週楽しみで、小学生の頃から
表紙だけ切り取って集めていたこともあります。
中学生の頃、キックボクシングを始めて大きな目標を立てました。
あらゆる分野の一般紙に掲載されるような選手になる。
身の程知らずも甚だしい目標だということは、当時を知る人なら
理解出来ると思います。
専門誌すらないのです。
そして、少しして専門誌が出来るのですが格闘技と一括に
されたもので、掲載されるのはプロレスと空手です。
興行があればモノクロ2ページで全てをまとめた観戦記を
掲載する程度です。
インタビュー等ありません。
専門誌では表紙になるくらいの意気込みで、そして、
一般紙にも出るつもりでいました。
恥ずかしいですが、でも、それぐらいの図図しさと勢いが
必要だったと思います。
当時のキックボクシング界には。
紆余曲折を経て、僕の存在を気づいてくれた時期でもあり
面白がってくれ始めた時期でもあります。
20歳の高校生、当時のそれが肩書です。
十分、面白がってもらえたと思います。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。