5戦目1988年11月25日

中学生時代から全ての教科書はボクシング雑誌でした。
キックボクシングの専門誌はなかったですし、何もかも遅れて
いたからです。
勿論、ボクシング雑誌が全てを教えてくれる訳ではありません。

中学生時代から減量も、自分のあり方も、名前の売り方も
全て自己流です。

ボクシング雑誌を見て、試合内容だけではなく、インタビュー
だけでもなく、何kgの契約で試合したのかということまで
気にていしました。
前哨戦だからあえて緩めの体重で試合をするのだなとか、
同じ階級で勝つ確率の低い王者に挑むなら危険性を回避して
一つ下げたのだなとか、この階級がぎりぎりなのにあえて
落とさせられているのだなとか、その一番最後の記述に自分も
当て嵌まってしまいました。

最近では簡単に階級を上げることを当たり前にしています。
体力を、攻撃力を、みなさん口を揃えますが、落としたくない
口実の建前のように感じます。
試合も出来ない体重にあえて落とす必要はないですが、
簡単に上げ過ぎだとも思います。

上げたら減量は楽になりますが、でも、ダメージは増すのです。
筋力を上げても打たれ強くなるわけではありません。
そして、階級が上がれば相手の攻撃力も上がるのです。
いつか、大きな事故が起こらないことを祈ります。
間のスーパーの階級(当時のJr階級)がない時代、
フェザー級に落ちなければライト級に上げるしかありませんでした。
6kg落としたフェザー級でも相手が大きいため
バンタム級に落として試合していました。
でも、冒頭にある通り、試合をする訳でもない
会長が勝手に企てて試合を組みました。

もうバンタム級もきつくなってきた頃でした。
でも、フェザー級に戻さないで、出来ることなら
バンタムでもう1試合、そうでないのなら契約ウエイトで
55kg、その2つが希望でした。
減量がきつくてもダメージを減らして試合経験を
積みたかったのです。
でも、会長が選手の意見に耳を貸さない人でした。
何度も何度もことわったのです。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。