菜花と理王は《競いたい》
その歌声を聴いた時、衝撃的だった。
息を吞む事すら忘れる程に圧倒的で、その場にいる全ての人を絶対に引き込む。力強さも、儚さも感じられて………なにより、歌っている彼女の姿は、なにより美しかった。
「…………」
聖舞理王には一つ、不安の種があった。
それは、今自分の背後から感じる視線だ。
「…………うにゅ」
ここ最近、たまに感じるのだ。誰かから見られているなと
これが誰かのお茶目なジョークなどなら良いのだが、TINGSのメンバーや自分の知り合いがそういう事をしている様子はない
(も、もしかしてこれが………?)
一つだけ思い当たる節があった。最近マネージャーが言っていた事だ。
自分達もそこそこアイドルとしての知名度が高くなってきた。そうなるとどうしたってつきまとってきたりする様な人間に目を付けられるリスクも高くなると
事務所でも当然対策はするけど、自分達でも気を付けるように……そう言われていた。
(これって………そういう事!?)
急に不安でいっぱいになってくる。どうしよう、どうしよう…………困った理王は何も思いつかなくて、とりあえず走り出した。
「ッ!?」
それを見て背後の何かも追うように走る。これによって疑惑は確信へと変わってしまった。
(だ、だれか~~たすけて~~)
パニックになって声も出ない理王。ふと彼女はある事を思い出した。
予想だにしなかった行動をとると相手は驚いて思考や動きが止まる。そんな事をどこかの誰かが言っていた………気がした。
これしかない。追い詰められている理王はそう信じて、必殺技を発動する為に急に立ち止まり
「いくわよ!理王様ひっさtにゅ!?」
「きゃっ!?」
追ってきたであろう人物とおもいっきりぶつかった。
「いった~」
「まさか………いきなり止まるなんて」
尻もちついて呻く相手。その声はどこかで聞いた事のあるものだった気がして理王はその人物の顔を覗き込んだ。そして
「えっ…………」
呆然とした。なぜならその人物はHY:RAINのメンバーの一人、氷海菜花であったからだ。
「なっ、なんで…………?」
「…………」
理王の漏れ出した疑問の声に菜花は顔を逸らした。
さっきの場所に留まっていると騒ぎになるかもしれない。
2人は公園に移動してきていた。
「…………」
「…………」
気まずい空気が流れる。理王としては聞きたい事は沢山ある。だが、それを聞いてもよいのかも躊躇われる。
なぜなら菜花と理王は一度も話した事がない。顔を合わせた程度の関係だ。
彼女のアイドルとしての姿は当然知ってるが、どんな人なのかも正直そこまでわかってない。
どんな風に話せば良いのか……悩んでいると
「ごめんなさい」
「うぇ!?」
「あんな事して、反省してる」
「そ、そんな……」
頭を下げる菜花にどうすれば良いのか困る理王。だが、自分からも何か行動をとらねば話を理解出来ない事は分っている。なので意を決し
「あっ、あの!なんで氷海さんはわたしを……?」
「…………」
一番、理王が知りたい事を勇気を持って尋ねる。菜花は返答に困っているのか、難しい表情で黙ってしまった。
その様子に理王は少し心苦しくなる。
「………なにか言えない事情があるなら、やっぱりいいけど」
「ううん、そうじゃない」
弱々しく言った理王の言葉に菜花は首を横に振った。
「私は、あなたの事が知りたかったの。聖舞さん」
「えっ………?」
予想だにしていなかった言葉に理王は驚きの声を漏らす。疑問の気持ちが更に広がった気がした。
「なんで……私の事を?」
「あなたの歌声が、素敵だったから」
「ええっ!?」
確かに理王は歌が上手い。最近ようやく自分でもそれを理解して自信を持てるようになった。
でも、それを菜花の口から聞くとは思ってなかった。
なぜなら菜花の歌唱力もかなり高いものだからだ。
HY:RAINのメンバーは全てのスペックがかなり高い。当然歌も皆上手いのだが、理王は菜花のそれは周りよりも優れている……その様に感じていた。
そんな彼女に自分の歌声が素敵だと言われる。嬉しい事だけど、少しだけ信じられなかった。
「元々、聖舞さんの歌唱力が高いのは知っていた。でもあの時、中野サンプラザで初めてあなたの生の歌声を聴いて……私は凄いって本当に思った」
菜花は当時の記憶を思い出す。
理王がセンターを務める曲「Yellow Rose」
この曲を契機に理王の魅力が引き出され、TINGSの人気者更に上がった事は知っていた。
知ってはいたが、実際にライブ会場でこの曲を、理王の歌声を聴いて、本能から心が震えた。
静寂を我が物として、ただ純粋に歌声を届ける力。
観客は皆、息を呑む事すら忘れる程にその歌声に、歌う聖舞理王の姿にただ圧倒されていた。
あの瞬間、あの場にいる者たちは皆、確かに理王の虜となっていた。
それを感じ取り、菜花はふと思ってしまった。
自分はこれだけ人を魅了する曲を歌っているのだろうかと
確かにHY:RAINの一員として大きなステージで成功を収めている。それはつまり、自分達の披露しているものは 沢山の人を魅了している事の証明になる。
なるのだが……客席の人達が菜花の歌を本当に魅力として思ってくれているのか不安な気持ちはずっと心の中に残っている。
氷海菜花は青天国春の抜けた穴を埋めるように加入したメンバーだ。その実力は新人アイドルの中でも高く、HY:RAINに抜擢されるに相応しいだけの能力を持ってはいる。
だが、それでも菜花はメンバーの中で一番ダンスが下手で、なにより青天国春の足元にも及ばぬレベルの能力。そう客観的に自己を評価している。
だから努力をし続け成長しているHY:RAINの中でも更に努力をして、他のメンバーと同等……それ以上になれるようにと思っている。
そんな菜花だからこそ、「自分がこの人達を満足させる事が出来てるのか」「観客達の歓声は自分に向けられているのか」そういう事をよく考えてしまう。
そんな中、完璧に観客を魅了した理王を、あの一体となった空気感を感じた菜花は純粋に思った。「私もこういう風になりたい」と
そして気が付いたら、理王の事を調べたり、後をつけていたりしていたのだ。
「な、なるほど……」
「迷惑かけてごめんなさい。このお詫びは必ずします……」
「そ、そこまでしなくても」
「そういう訳にはいかない。迷惑かけっぱなしなのは不公平」
「えぇ……」
確かにちょっと怖かったけど、全然知らない相手ではなかったし何事もなかったのだから理王的には気にしなくても良いと思っているのだが、菜花はそうは思えないらしい
どうにか彼女が妥協出来る提案を考え……理王は一つ、菜花にお願いしたい事を思いついた。
「それじゃあ、一つお願い聞いてください!」
「は、はい………」
「わたしと友達になってください!!」
「えっ?」
予想していなかった提案に驚く菜花。そんな事をお願いされるとは思ってなかったようだ。
「とも……だち?」
「うん、友達!どうかな?」
理王の言葉を聞いて考え込む仕草をする菜花。少しして、答えを決めた彼女はしっかり理王の方を見て
「悪いけれど、それは無理」
「ええっ!?」
まさかの拒否に驚く理王。お詫び代わりとして良い提案だと思っていたのだが……なにより友達拒否の言葉がちょっと胸に刺さった。
「私はあなたと友達じゃなくて、ライバルでいたい。そう思ってる」
「ライバル………?」
「アイドルとして、競いあって高めあっていく。そういう関係になりたい」
「………」
「聖舞さんは嫌?」
「ううん、そんな事ない!」
理王も頑張ってアイドルとしてもっと成長していきたいと思っている。だからこそ、そう言ってくれる人がいるというのは嬉しい事だ。
しかもそれがHY;RAINのメンバーとくれば、否定する理由など全くない
「わたしも、氷海さんよりすっごいアイドルになってもっと沢山の人を笑顔にしてみせるんだから!」
「……菜花」
「え?」
「私の事、名前で呼んで。ライバルなんだから……私も名前で呼ぶ」
これで公平……と満足気な顔をする菜花。そんな彼女に理王も笑顔で応える。
「わかったわ、菜花!」
「あと、さっきの言葉。あれは不公平」
「うにゅ!?ど、どういう事?」
「今度は私が理王に凄い所を見せてから、その言葉を言わせる。そこでようやく公平になる」
「菜花……」
「私は理王よりも、もっと沢山の人を魅了する。その姿を見せてあげる」
覚悟を秘めた眼差しで菜花は宣言したのだった。
少し時間が経って
「HY:RAINのライブチケットが届いている」とマネージャーと言われた。しかもそれは菜花からのものだという。
あの時の菜花の言葉の意味がようやく理解出来た。これはつまり、そういう事なんだと
TINGSのメンバーと一緒に現地に赴き、その時を待つ。
楽しい……ワクワクするという高揚感もあるが、なによりも菜花の魅せるものが何なのか……それが気になって緊張もしていた。
そして遂に……ライブの幕が上がった。
やはりHY:RAINのライブはクオリティが高く熱気も凄い
自分達も盛り上がるライブが出来るようになってきた。でも、この光景を見ているとまだまだだと改めて思い知らされた。
間違いなく成功と言えるライブ。でも、きっとまだだ。
まだ、菜花は満足をしていない。会場を魅了していない
そう考えていると理王は彼女の表情を見て、感じた。
じっと理王は菜花を注視していると………一瞬、菜花と目があった。
彼女はこっちを見たほんの僅かの間、口元に笑みを浮かべていて
まるでそれは、宣戦布告のようだったと理王は後に口にした。
その後の菜花は更に凄かった。
ダンスも他のメンバーに負けていないが、何よりも響く歌声に彼女の感情が篭められていて、より力強く、より美しかった。
そして、その歌声に共鳴するように観客達の気持ちもより一体となって行った。
「………………」
高まり続ける菜花の姿、盛り上がっていく会場の空気を肌で感じ、理王はその世界に目を奪われた。なんて素敵な世界なんだろうと
心臓の鼓動がどんどん強くなっていく。初めて螢のライブを見た時とはまた違う高揚感が身体中を巡っていた。
1日経っても気持ちの高鳴りは治まる事をしなかった。だから、思わず理王はあの場所へ駆けていた。
彼女と初めてしっかり言葉を交わした場所に
「ハァ……ハァ……」
息を切らしながら走り彼女を探すと、まるで誰かを待っているかの様に菜花はそこに座っていた。
理王が見つけるとほぼ同時、彼女は視線に気づいてか振り向き、二人の視線がぶつかった。
「…………」
「…………」
無言で向き合う。そして周囲を伺う。今、ここには自分達しかいない
だから、多少声が大きくなっても………気持ちが溢れても問題ない筈だ。
「どうだった……私のライブ?」
「すごかった!……………本当に凄かった!!」
瞳をキラキラとさせながら理王は言った。菜花はその様子に少し驚きつつも、嬉しそうにはにかみ、頷いた
「ほんと………本当に凄いって思ったし、楽しかった。でも、それだけじゃなかったの」
「……?」
「すっっっごい!くやしかった!!」
理王の叫びを聞いて、菜花は目を見開いた。
真剣に見つめてくるその表情からそれが本心だと伝わってくる。
「歌もダンスも、わたしよりも上手かった。でもそれ以上に菜花を見ている皆が本当に楽しそうに笑ってて………わたしもこんな風にもっと皆を笑顔に出来るようなアイドルになりたいって思った!」
「理王…………」
理王の思いを聞いた菜花は驚いた表情をしていたが、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべて
「………これで公平」
一言、満足そうに言った。
「え?」
「私が理王の……TINGSのライブを観た時もそんな風に思った。それで今回、理王が同じようにそう思ってくれた。だから公平」
「…………」
菜花は常により高いパフォーマンスを心掛けているが、理王達のライブを見てその思いはより一層強くなった。
「自分だけこんなに理王に心動かされるのは不公平………」
そんな気持ちを抱え、菜花は更に努力を重ねた。自分の力でより多くの人を魅了出来る様に、そして理王が自分と同じ気持ちになってしまうぐらいのライブを見せつけられる様に
そうすれば、同じ思いを抱えて私達は公平になるから
彼女の目論見は見事に成功したのだ。
「そっか……菜花はこんな気持ちだったんだ」
胸に手を当てて、目を閉じる理王。そして決意をした様な強い眼差しで瞳を開いて
「なら、今度はわたしがもっと凄いものを見せないといけないわね!」
高らかに宣言した。菜花はそれを聞き、呆気に取られた顔になってしまう。
「そうじゃないと公平じゃないもの!」
「いや、それだとまた不公平」
「えぇ!なんで!?」
菜花の言葉が分からず本気で驚く理王であったが自信満々に言葉を続けた。
「だって、わたし達はライバルなんだから。ちゃんと競い合っていかないとダメでしょ?」
「…………それは確かに」
その通りだった。二人はライバル。菜花が望んだ関係だ。
ならば、不公平になったとしてもお互い高め合っていかなければいけない
理王のおかげで菜花は一つ成長した。ならば次は理王が成長して見せつける番だ。
「理王様の究極のパフォーマンス見せてあげるから覚悟しなさい!」
「楽しみにしてる………でも、私はもっとその先に行くから」
二人は笑い合って握手をする。より多くの人を笑顔に出来るアイドルになる為に、より素晴らしいグループになる為に
今日も2人はそれぞれの場所で、昨日の自分を超えていく
より輝くために