
写真と単位
単位の話
自分がシャッターを切る理由について何度も考えてきました。それは、ただ偶然の記録とか美の追求だけでなく、自分を探す行為であることに気づきました。写真を撮ることで、自分がいまどこにいるのかを知り、何を撮りたいのか、何を表現したいのか。そんなことが少しだけ、わかった気がします。
「写真を撮る人」という肩書が割と簡単に手に入れることが出来る時代になりました。本業であろうと、そうでなかろうと、撮ることだけだったら誰でも出来るようになったからこそ、よく考えるようになりました。
この文章は、日々考えている「写真の単位」について書いたものです。「自分がどこにいるのか」を知りたい人、そして写真を通じて新しい視点を見つけたいと願う人に向けた小さな提案です。
写真の三つの単位とは
写真を撮る際に、「世界」「社会」「個人」という三つの単位で物事を考えることがあります。これらは、撮影のテーマや視点を整理するための基準で、自分の写真がどの場所に立っているのかを知るための地図のようなものです。
世界
「世界」という単位は、自然や風景を撮影するときに感じる広大な視野を指します。たとえば、夜明けの静けさや、霧に包まれた山を撮ることで、時間の流れや自然の持つ雄大さを感じます。もしかしたら星空を撮ることは時間を逆行していることなのかもしれないとさえ思います。世界を撮るという行為は、自分を超えた大きな存在と向き合う瞬間でもあります。
社会
「社会」という単位は、人間の営みやその周辺を捉える写真にあたります。報道写真や広告写真、さらにはポートレートもこの範疇に入るでしょう。難しいところですが、スナップもそうです。街の中にある「知らない人たちの生活」を撮っているのです。たまに知らない街の知らない住宅街を歩くととても不思議な気分になることありませんか?世界にはこんなに人が暮らしているのだなと強く自覚させられることがあります。
街を歩き、人々が交差する瞬間、何気ない日常の風景にカメラを向けること。そこには、個人の感情を超えた社会の一部が映り込みます。
個人
「個人」という単位は、自分自身や親しい人、日常の中のかけがえのない瞬間を指します。家族写真や、自分の身近な風景を撮ることです。すべては記憶出来ないからこそ、記録しておく必要のある自分のアイデンティティたちです。その写真は他人にとっては何でもないものかもしれませんが、自分にとっては心を守る役割を果たしています。誰にも明け渡してはいけない場所です。
自分も含め多くの人は、この個人の写真を撮ることが多いと思います。暮らし、生活、そんなものの中に息づく写真が世界には溢れています。
単位を意識することの意味
写真に単位を与えることは、自分がどの視点で物事を捉えているのかを明確にする気がします。どの単位に焦点を当てるかを意識することで、写真が単なる記録ではなく、メッセージを持った作品へと変わります。
単位を意識することは、自分の中にある感情や思考を整理し、写真の持つ可能性を広げてくれるのです。
写真の単位を意識することで、作品にテーマが生まれ、視点が明確になります。しかし、そこで気づいたのは、単位を意識するだけでは足りないということです。意識するだけで終わってしまうと、写真は「枠」に囚われてしまいます。大切なのは、そこからさらに新しい単位を自分で生み出していくことです。

単位が混ざる瞬間
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?