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b_mary
ともだちになるために
小学生の子供が音楽会で歌う曲を家でも歌っている。
ともだちになるために
私の小学生の時に歌った。子供と同じく手話で。久しぶりに歌詞を聞いた。
どこの どんな人とも
きっとわかりあえるさ
わかりあえる、理解しあえる
難しいなと感じた。
分かって欲しい
が先行してしまって自分の正しさを押し付けてしまっている。
きょうだい喧嘩も
子供の人間関係のいざこざも
大人の人間関係のいざこざも
どこかの国同士のこれまでも今の戦いも
すべてそれぞれが「自分は正しい」と思っていて
正しさと正しさのぶつけ合い。
正義の反対はもうひとつの正義
他人を相手を本当の意味で理解することは出来ない。その当事者でないから。
だけど想像はできる。つまり相手をどこまで想像するか。
その上で相手が思っていることを認めること。
理解するんじゃなくて
あなたはこう思ってるんだね
ってジャッジせず認めるだけ、知るだけ。
そこで
私はこう思ってるよ
と伝える。
わかりあえるとは認め合うこと。
私のことを分かって欲しい
あなたのことを分かりたい
人の気持ちになったら
これを
わかり合う
としたら難しすぎる。
人の気持ちなんて他人だからわからない。
押し付けあった瞬間に傷をつけ合うことになる。
一人 さみしいことが
誰にでもあるから
ともだちになるために
人は出会うんだよ
誰かを傷つけても
幸せにはならない