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80億人の主:無花果とオリーブ(最終回/全8回)

胸を張ろう

無花果章は、そのあと、「正しい見返りの教えである宗教が下っているにもかかわらず、何があなたのことを嘘つきだと言わせるのか?」という問いに答えて、「アッラーが最善の判断者ではないのか」で終わる。

最善の判断者の判断はどこにあるのか。クルアーンの中にこそそれはあると信者も、イスラーム法学者も言うであろう。それは疑いようのない絶対的な真実だと。確かに、クルアーンの中にもあるかもしれない、しかし、信者として信じるべきアッラーの書として、クルアーンの外に旧約もあれば新約もあるし、アブラハムの碑版もあればダビデの詩篇もある。それらを無視することはできないが、それ以上に大切なことは、イスラーム神学の知見によれば、アッラーは語りそのものでもあり、かつ今なお語り続けているということだ。

この無花果章の少し前に降された章に「胸を広げる章(アッシャルフ章)」というのがある。アッラーがムハンマドに対して施した恩恵として「あなたの胸を広げなかったか」という問いかけから始まる章である。少し踏み込んだ注釈書であれば、この章の解説の中に、少年期のムハンマドのところに天使ジブリールが現れて、彼の胸を切り裂き心臓を取り出し、ザムザムの泉の水を張った金の盥できれいに洗い、胸に戻して傷口を縫い合わせたという故事が紹介される。にわかには信じがたいが、天使とムハンマドとアッラーの間に起きた話であり、それこそ疑問を呈すれば信仰心が足りないと言われてしまいそうだ。だが、その一方で、預言者になるためには、心臓を丸洗いするような準備が必要なのだと読むことができそうだ。

しかし、それは預言者の話。すでにしてムハンマドを最後に預言者は遣わされてこないのだから、天使絡みの外科手術的な事象が今後生起することはまずないと考えておける。そうであるとするならば、預言者ではない人間が、この聖句から読み取るべきは、人間が自ら胸を開けば、心も広がるというメッセージだとは言えまいか。ジブリールが切り開いてくれないのなら、自分たちで胸を張ればいい。胸を張って直立二足歩行で人生を送っていく。一見、神がかった話も、実は、人間全体に対するエールだったりする。

最善の判断者とは

最善の判断者の判断は、クルアーンの書物の中、あるいは先例を踏襲する伝統的な聖典解釈の所産としてのイスラーム法の中にあると思われるかもしれない。それは、往々にして、人間を、敵と味方、信者と不信心者の二項対立で割り切ろうとする判断だ。しかし、清濁、善悪、美醜と絶え間なく変化し続けるのが人間という生き物ではなかったか。敵で、あるいは味方でい続ければ、それが美談になることからわかるように、大抵は、敵あるいは味方であり続けることは難しいのだ。

永遠に割り切れない円周率をどこかのタイミングで呑み込んでこそ、円として円く収まることを思い出せばよい。信者だ不信心者だ、天国だ地獄だ、天使だ悪魔だと2項対立のオンパレードのようにさえ見える、クルアーン、あるいはイスラームに円い部分がないわけではない。何よりラッビルアーラミーンたる主は、最高の慈悲慈愛の持ち主なのだ。その部分にフォーカスし、科学的な知見も踏まえたうえで、ひとり一人へのメッセージとしてたとえばこの「無花果章」を読みなおしたとき、《最善の判断者》たるアッラーの判断に少しは近づく努力をしたことになるのではないか。

そうすれば、アッドゥンヤーで、俗世にまみれながらも、きっと少しは自由になることができるのだろう。しかしまた、俗世の底の方に引き戻されてしまうかもしれない。しかしまた、少しは自由に、そしてまた、しかし、一つ間違いなく言えるのは、こうして一人ひとりが自分自身の人生を生きられるようになるということだ。

無花果とオリーブを見て「ワッティーン・ワッザイトゥーン」を思い出す人も、それとともに、真夏のオリーブ林の乾ききった爽風に立つイチジクの木を思い出す人も、あるいは、そうでない人も皆、善玉であろうが悪玉であろうが天使であろうが悪魔であろうが、性別も年齢も人種も民族も国籍も、過去も出自も、言葉も気分も千差万別だけれど、それでも関係なく、みな等しく人間なのだ。アラブ人には無花果とオリーブとシナイ山とメッカにかけて、そしてそれ以外の人にとっては、自分とって最も身近な果実、植物、山稜、平和な町にかけて、アッラーはそのことを示してくれている。

「地獄に堕ちろ」「奈落へ戻れ」などそんな脅しに怯むことはない。胸を開いて「われらの語り」を読み啓き、自らの無知を知り未知を訪ねてペンを持て。

20億人だけの主ではない、80億人の主にしてどこまでも深くどこまでも広い慈悲慈愛の持ち主のそんな声は、愚かなる私の幻聴だろうか。


謝辞と作品の来歴

全八回にわたってお読みいただき、ありがとうございます。
(2023年12月31日加筆修正。もとは2022年12月31日にまとめた論考。「衝撃的な作品」を求める公募へ投稿するも「衝撃」はうまく伝わらなかった。審査結果公表後、3カ月をかけて書き改めた。アルハムドゥリッラー。)


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