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2019年にぼくがローマに忠誠を誓った話

結構人の記憶力とはあてにならないもので、すっかり忘れていたが、ぼくが世界シェアトップのギターメーカーを辞めたのが3年前。そのきっかけがデ・ロッシのローマラストマッチがきっかけだったということ。
その試合の為にオリンピコにいた岩本義弘さん(元フロムワン代表取締役兼サッカーキング統括編集長、現南葛SCゼネラルマネージャー)からテレビ電話がかかってきて、凄まじい雰囲気のスタジアムを見せられた。赤と黄の美しい客席から、火花のようなスマートフォンのフラッシュが絶え間なく瞬き、歌声と叫び声が入り交じる天国とも地獄ともつかない狂騒が目に飛び込んで来た。
そして、その日の午後にぼくは、転職のあてもないのに住宅ローンを27年残して辞表を出した。

その年の暮れにローマから一緒に仕事をしないかと打診された。でもぼくはそれを断った。そのとき、ローマからの給料じゃ家のローンは返せないと思ったのも理由だが、なによりもローマ速報が続けられなくなる可能性があったからだ。当時のロマ速は広告を付けていなかったので、ぼくは全くの無報酬で15年ほどテキストを書き続けていた。

その原動力はーーもう二度と言わないけど、ぼくはローマの仕事よりも、これまでロマ速を読んでくれた人達が重要だったからだ。自分だけ中の人になる?読者を見捨てる行為だと思った。

ローマからは、ロマ速を続けてもよいから、ぼくのテキストをCSSでオフィシャルサイトに埋め込んでもいいとまで言って貰えた。本当に夢のある有難い申し出だった。でも、「おいすう!なんでいつもベランダから勝手入ってくるんだよ!」なんてどうして載せられたものか。

ということでローマを断り、いや諦め、そこからおよそ2年の間、いままでやったことのない仕事を経験してみた。その会社は、みんないい人たちばかりで、この人達とずっと働きたいと思った。入社3ヶ月後には業務に必要な国家資格を取らせてもらい、居心地は本当に良かった。でも、居心地が良い時こそ、新しい人生を模索すべきではないのだろうかと、徐々に感じるようになっていったのも事実だった。居心地は良いけど、きっと10年後もこのままに違いない。それはとても刺激のない人生のように思えた。別に刺激が欲しいわけじゃない。でも自分である理由は探したかった。

それは、デ・ロッシがローマを離れて、アルゼンチンのボカに加入したときからずっと気がついていたのに、いつしかぼくはそんな事も忘れていた。

そして、現在は南葛SCというサッカークラブで仕事をしている。サッカークラブで働くということは、信じられないくらい夢のある仕事だと思って過ごす日々だ。

さて、なぜこんな話をしたのかと言うと、昨日クラウディオ・ラニエリ監督の事を思い出したから。ラニエリ監督は、2019年3月、ディフランチェスコ監督がロッカールームのコントロールを失った最悪の状態でやってきた。ローマはラニエリ監督に十数合限定の契約を申し出た。

ラニエリ監督はレスターシティをリーグ優勝に導いた人物。当然ヨーロッパでは巨匠にカテゴライズされる監督で、その人物に限定的なオファーをするのは、本来は著しく礼節を欠く行為だ。しかし、サークラウディオはその申し出を快諾する。彼もローマの惨状に力を貸したかったのである。

そして、奇しくもそのシーズンの5月26日、ダニエレ・デ・ロッシの最後の試合を指揮することになる。ローマ生まれのロマニスタ監督が、ローマ生まれのロマニスタのラストマッチのピッチサイドに立つ。幾重にも織られた奇跡のタペストリーだ。

同時に、これはラニエリ監督の最後の試合でもあった。この試合で、スタジアムを満員にしたティフォージが、サークラウディオに感謝の言葉を伝えた。「いままでありがとう」「やめないで」しかし、彼はもう二度とローマに戻ることはないだろう。まだまだ続く監督人生の途中で、トリゴリアに寄り道してくれただけなのだから。

試合が始まると、ピッチサイドの監督の表情をカメラが捉えた。サークラウディオ・ラニエリの頬には涙が伝っていた。そして、その2時間後には同じオリンピコでデ・ロッシが陸上トラックに跪き口つけた。そしてぼくもあなたもテレビの前で泣いたはずだ。
そんなものを観させられたら、ローマに永遠を誓わずにはいられない。27年の住宅ローンなんてどうでもよくなっちまうほどにね。

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