こころとおかね
お金がない。わたしの人生で常に頭の片隅にちらついている言葉だ。母譲りの貧乏性はわたしと一緒にすくすく育ってしまった。友達がコンビニで食べたいものを躊躇なくカゴに入れる時、お祭りの屋台を全力で楽しんでいる時、これが健全!いいな、羨ましいなと思う。そうして、心の隙間に冷たい風が吹く。節約する習慣が身についていて、良い面もあるのだけれど、わたしだって非日常を全力で楽しみたい。旅行に行っても、レストランでは食べたいものよりも金額が目に飛び込んでくることもしばしば、お土産だって我慢してしまう。そんなことを話したらきっと楽しくないだろうなと思って誰にも言えないから、帰ってきて一人もやもやする。愛とお金を天秤にかける質問はあまり好きじゃないけれど、確かにお金は大事であり、わたしの中でこころ(愛にもつながると思う)を満たすこととお金は複雑な関係を結んでいる。
会社を辞めた時、こころが軽くなって、お金がなくても大丈夫な気がした。人のためにお金をかけることも惜しまずにいられたのはこころが元気だったから。
しかし、通帳の残高の桁数が減ってくる頃にはなるべくお金を使わないということが全ての基準になってしまう。そうすると、自分が良いと思うもの、感謝を示したいもの、応援したいものに対してきちんとお金を払うことができなくなり、こころの元気も少しずつ奪われていったのだ。どうやら気持ちよくお金を使う機会はわたしを元気にしてくれるということがわかった。
新しい本は図書館や古本屋さんではなく、好きな本屋さんで買うこと、サブスクではなく映画館で映画を観ること、調味料や食料品、衣服を安いからという理由ではなく好きなものを選ぶこと。小さなことではあるが、わたしはこれらのことをしていたい。今は難しくても、いつかその順番がまわってくる日までお金と良好な関係を築こう。お金があれば幸せということではないが、お金は生活に幅を持たせてくれたり、困った時には助けてくれる。だから良い友達みたいな関係がいい。長い時間をかけて身につけたものを変えるにはさらに長い時間がかかるけれど、良いところはそのままに少しずつアレンジをしていかなくちゃね。