見出し画像

#10「みんなの"もしも"で優しさを繋ごう」


“もしも、宝くじの一等が当たったら。”
“もしも、芸能人と付き合えたら。”

こんな“もしも”は、誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
では、次の“もしも”については、一体どのくらいの人が考えたことがあるでしょう。

もしも、自分や自分の身近な人が髪の毛を抜いてしまう、抜けてしまう病気だったら。

そんな“もしも”について考えることをテーマの一つに掲げ、高校三年の女子生徒3名と、ASPJ土屋光子さんらのディスカッションが行われました。

今回このディスカッションを聞き、感じたこと。
それはまず今回参加した大人全員が口をそろえて言っていた通り、高校生なのに考える奥行きが深くてすごいということ。
そしてそれを意見として自分の言葉で発言できるのにも驚きました。

当事者であったその時の自分でも彼女たちのように考えられたかというと、定かではありません。


“私が気づかなかっただけで、友達にも抜毛症を
経験したことのある子がいると母から聞いて
意外と身近なんだなと感じました。”

そう話すのは、今回ディスカッションに参加した学生のUさん。
当事者である私が言うのもおかしいかもしれませんが、実は意外と身近であるということは私も感じています

私はマッサージ屋さんやまつ毛エクステのサロン、場合によって歯医者さんに行くときは、事前にウィッグだということをカミングアウトしています。
(この3つの業種、共通点はわかりますか?そうです、横にならないといけないのです。)

ウィッグがずれたり取れたりすることはないと思うのですが、もし万が一外れた時に驚かせてしまわないためと、もし気づかれていて変に気を遣わせてしまうのも嫌なので…。
少し逸れましたが、こうして小さなカミングアウトを重ねていると

「実は、うちの母もなんですよ。」
「実は、僕も昔、円形脱毛症だった時がありました。」
「実は、昔の彼女がそうでした。」
「実は、結構そういうお客さん多いんですよ。」
という、たくさんの「実は」を聞かせてもらえることが多いのです。


もちろん、気を遣ってか触れないようにしてくださる方もいますが、私はこうして髪の毛がないことがきっかけで話が弾むことが嬉しいので、小さなカミングアウトはわくわくする瞬間でもあります。


“当事者の方々の中には『自分はずっと隠しているのに、そういう活動をされるとすごく置いてきぼりな気持ちになる』『反発的な気持ちになる』といったご意見もあって。もっと悩んでいる方に寄り添った活動をしていきたいな、と考えています。”

ASPJを立ち上げた当時、スキンヘッドを芸術にして活動されていたころを振り返って土屋さんはこう話しました。今はそのご意見も受け入れ、少しずつ方向性を変えられています。



私はワンステッップというメーカーのウィッグモデルとしてホームページや動画の撮影に参加させていただくことがありますが(今はお休み中)、オーダーメイドウィッグのCMが全国放送された時にも同じようなご意見がありました。

「なんで私は前を向けないんだろうと、自分がダメなように感じる。」

「私は必死で隠しているのに、こういう病気があることやウィッグを使って生活している人がいることを全国に知らしめないでほしい。」

このご意見を聞き、そういう考えの方もいるということを初めて知りました。

ただただ、みんな前を向けられればいい、前を向いてもらおうと思って活動していましたが、大切なのは土屋さんもおっしゃる通り、悩んでいる方の気持ちに寄り添うことだなと感じています。

人に無理やり連れていかれて見せられた景色よりも、自分で迷いながらたどり着いて自分が見たいと思って見た景色の方が、より美しいですよね。


“以前に小学校で講演したときにみんなに
ウィッグを体験してもらって、クラス中わんさか
沸いちゃった経験があるんです。(笑)”



髪の毛の疾患について認知を広めるためにどうしたらいいかを話し合っていた時に、こうお話された土屋さん。
わんさか沸いたところ、見たかったです。(笑)

小学生の子供たちにとっては難しいような、構えてしまうようなお話かと思いきや、まさかそれがこんなに楽しい経験になったら、きっと家に帰ったらおうちの方にも話すだろうし、ショッピングモールなんかでウィッグを見かけたらその日のことを思い出すかもしれない。


それに、その日の楽しさが忘れられなくて、大きくなってから自分でウィッグを買ってみようと思うかもしれない。
そういう積み重ねで、子供たちにも少しずつ、そして自然に、髪のあるなしの境界線を柔らかくしていけることができたら、どんな風に社会が変わっていくか。考えただけでワクワクします。


しかし小学校ではわんさか沸いた一方で、中高生向けとなると少しハードルがあがるようです。

“集会で話を聞いて、ちゃんと本意が伝わるかっていうとやっぱり捉え方にも誤差があると思います。
ひとりひとりちゃんと話をすれば
みんな理解はあると思うんですけど。”

こう話すのは、Iさん。
なんだか自分が高校生だったころもそうだった覚えがあり、現役高校生の言うことなのでさらにリアリティがあります。
「全校集会?かったるい。」
「本当は興味のあることでも、なんか食いついたらかっこ悪いかも。」みたいな、思春期ならではの感情ってありますよね。

では中高生に広めるにはどうすればいいのかって考えると、やっぱりSNSの活用が大事になってくるなと思いますが、そこにはSNSの機能的な面で壁がありました。

私自身も日々感じているのですが、学生の皆さんが言っていた通り、SNSのオススメ機能は自分の好みにカスタマイズされていくのでどうしても当事者同士で集まってしまいます。

当事者でない人にももっと見てほしくて、よく検索されていそうなハッシュタグを使ってみたりしますが、例えばその投稿を見て、“いいね!”をもらえも興味を持ってもらうことってすごく難しいです。

ましてや30代の自分が中高生に向けて発信なるとさらに難しいので、中高生にとってのインフルエンサーにお手伝いしてもらうことができればなぁと考えたりもします。


そして、いよいよ議題は冒頭に書いたテーマに。
もしも、自分や自分の身近な人が
髪の毛を抜いてしまう、抜けてしまう病気だったら。

“当事者じゃないなりに考えてみたのは、私だったら変わらず遠慮せず接してほしいかなって思っています。”

Iさんはこう話します。
私は彼女たちよりも少し若い、中学3年の時に脱毛症が始まって、高校1年生の秋からウィッグを使い始めました。それから20年ほど経ち、未だ当事者である私が、この“もしも”について思うこと。

もしもではなく実際に髪の毛はないので、脱毛症になりたての当時のことを思い出しました。

まだウィッグを使う前、高校の親友に円形脱毛のことを打ち明けた時、すごく言いづらそうにこう切り出されました。
「ほんとごめん、失礼かもしれないし嫌な気分になったらごめん。」私は能天気だったので、そんな反応が来るとは思わずに一瞬、悲しくなりました。

でもその続きは、
「嫌だったらいいんだけど、うちの親が化粧品売ってて、そのシリーズに発毛するやつ?みたいなのもあるから使ってみない?」
という言葉。

その子とはさらに仲良くなり、風が強いときはウィッグを押さえてくれたりして、その友達のおかげで高校生活を楽しく過ごすことができました。

“実際に自分の大切な人からそうだよって
(髪のないことやジェンターについて)
打ち明けられたら、本当にその人のことを
受け止められるのか。”

こんな心の葛藤をお話してくれたのは、Uさん。

私には何人か同性愛者の友人がいます。
彼らは病気ではないので、脱毛症の私と一緒にするのもなにか変な気もします。でも仲間意識を持っているのは確かで、私たちには共通点があります。

彼らが打ち明けてくれた時に口をそろえて言った言葉。
「打ち明けてどう思われようと関係ないけど、それを打ち明けたことによって相手に気を遣わせてしまうのが嫌。だから、相手とタイミングは慎重に選ぶ。」

まさしくそれは、私が大切な人にカミングアウトするときに考えていることと一緒でした。相手に気を遣わせないようにするには、明るい場所で明るく話すというテクニックも一緒でした。

たとえ自分が好きになった誰かに髪があってもなくても、同性愛者でも、なんの病気でも、その人を好きになった理由はそれ以外にある。

つまり、それを知って何かネガティブな感情を抱くようなら、たとえそれを知らなくとも、遅かれ早かれなにか別の理由でネガティブな感情を抱くことになるだろうということ。そして、そういう相手は自分の人生に、無理に置いておかなくてもいいこと。

でもこう思えるのって実は、少し自分で考えた結果でもあるけど、先ほどの高校生の頃の話の様に自分が今まで人からしてもらった経験があるから言えることです。自分がしてもらったように人にもしたいと思うし、さらにそれを繋げていきたいと強く思います。


今回このディスカッションで、髪のない私たちのために3人の高校生が時間を使って考えてくれました。

彼女たちの様に、まっすぐに、色んな視点から見て考えられる方が増えてくれたら。私たちだけでなく世の中の生きづらさが少なくなるだろうなと感じました。


ライタ―:MIWAKO
一児の母で、育休中だけどただの会社員。
2000年から円形脱毛症を発症し、2001年からフルウィッグを使用するように。2013年からワンステップのウィッグモデルとして活躍。全国放送されたオーダーメイドウィッグのCMに夫婦で出演し話題に。
ライター初挑戦。


【自分が知っている世界がすべてではない】
静岡市立高校生×ASPJディスカッション

#1「もし、自分が」想像から始まる
#2 共感力と聞き取り側の受け皿
#3 学生が使うSNSの価値観
#4 検索しなくても情報が入る仕組み
#5 ベストな答えはひとつじゃない
#6 本当に受け入れられるだろうかという不安
#7 おかれている制度に目を向ける
#8   当事者とご家族のためと
#9 アフタートーク
#10 ライターMIWAKOレポート

いいなと思ったら応援しよう!