隙間(2018/8/19)
朝目が覚めると、優しく揺れるカーテンから爽やかな風が吹き込んでいた。
カーテンの隙間から覗いているのはあたたかな日差しと
小さな僕。
「おはよう」
小さな僕がそう言うと、
「おはよう」
と僕は答えた。
「ねぇみて」
小さな僕はあっちの方を指差してパジャマの僕にそう言った
小さな僕と目を合わせると
少しほほえんだ。
その微笑みはまるで、僕に何か言いたげな…
あの頃は、どんな気持ちで、どんな夢を持っていたかなあ。
いつもと違う朝。
まぶたをこすればいつもの世界。
今日も街の中に溶け込んでいく。
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#2
いつも、少し早く出勤する。
急行に乗ればたった一駅の車内。
ぶつかる肩と肩
ひしめく息遣い
三角のつり革に必死にしがみつく
淡々とした車内アナウンス
いつも無だ。
この電車で通うのも、もうずいぶんになった。
満員電車———。
三角のつり革にしっかりと捕まって、
自分を見失わないように。
ドアから漏れる隙間風が鼻の穴に入り込んで少しむせる。
ドアが開いた瞬間、僕はまた違う世界に放り出された。
心の扉は閉めたまま。
歩く
歩く
歩く
歩く
歩く
心についた足跡を拭うように。
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#3
午前の仕事は、主に事務作業。
僕はこの仕事がなかなか気に入っている。
一人でコンビニ弁当を食べながらふと朝のことを思い出していた。
今の自分に満足はしている。
けれど、どこか隙間が空いている気がしていることには触れたくなかった。
まどろみの中で、現れた少年は何か言いたげな顔をしていた。
カーテンからのぞいていた少年の顔はよく思い出せないが、ストンと小さな僕だと受け入れた自分のことを考えた。
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#4
午後七時。いつもより少し遅く職場を後にした。
帰りの電車はいつも空いている。
駅に着くと、いつものコンビニでいつもの缶ビールを買って近くのベンチで飲む。
一本飲み終えて、今日はもう一本飲みたくなった。
ここから家までそう遠くはない。
「……くん?」
聞き覚えのある声だった。
艶のある、少し明るい声色。
一日がゆっくりと終わっていくはずだった。
彼女とは三年ぶりだった。
左手の薬指には指輪。
しばらく、ぼーっとした。
「私、結婚するんだ。」
そう、彼女の口が動いていたように見えた。
「まだ、絵描いてる?」
すこし動揺したけれど、平静を装ってそれとなく受けごたえをした。
「よかった。」
「じゃあ、またね。」
彼女は、「元気にしてた?」も「ちょっと太ったんじゃない?」も「結婚式に良かったらきてね。」も言わずに去って行った。
僕の頭の中で、ただ、「よかった。」の一言だけが駆け回っていた。
彼女の姿が見えなくなると、急に胸が苦しくなった。
けれど、僕の心の中では何かよくわからないものが込み上げてくるようだった。
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#5
ただいま——。
誰もいない、部屋につぶやく。
変わり映えのない毎日。
のはずだった。
けれど、心のどこかで気づいていた。
「おかえり。」
小さな僕がそう言った気がした。
「画家になりたい」
小さな僕は記憶の中でそう言った。
胸を閉ざしていたのは他の誰でもなく自分だった。
カーテンの隙間から小さな僕が、小さく微笑んだ。
2018/8/19 中西 優
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