副鼻腔炎の手術 備忘録その2
2024年3月21日。今日から入院である。
入院は計4日を予定しており、1日目は検査、2日目に手術を行い、3日目は経過観察、問題なければ4日目の朝には退院といったスケジュールである。
朝9時に妻に病院まで送ってもらい、病室に通されるとすぐに検査が始まった。
まずは血液検査と尿検査。手術しても大丈夫かどうかの最終的な検査だという。
検査の結果、手術してもマジで大丈夫ということで、正式に入院となった。
入院前に個室希望か相部屋かを尋ねられたが、イビキが激しく他の患者の方々に迷惑をかけてしまいそうなので個室を希望していたが、あいにく個室が全て埋まっているとのことで相部屋となった。
看護師さんに案内されて相部屋へ入ると、お一人患者さんがベッドに腰をかけておられた。なんとこれから退院だという。これからこの部屋に入る他の患者さんもいないとのことで、つまりこの3人部屋が晴れて私の個室となったのだ。もうこれだけで入院して良かった、と感激した。
これからの予定としては12時に昼食、18時には夕飯があって、夕飯後に検温と血圧測定がある以外は特にはなにもないのでゆっくり過ごされてください〜とのことであるが、さて、この時点で午前10時である。手術は明日の午前10時半ごろを予定しているそうで、ちょっと待ってくれ、あと24時間も何をして過ごせばいいの。
しかし私はお利口さんなので暇を持て余すことは想定済み。事前の準備には余念がないのである。
ますばスマホ。現代人の必須アイテム。これがあればネットフリックスでおびただしい数の映画やドラマを見ることができるし、こうやって副鼻腔炎の記事を書いたりもできる。
次にタブレット。スマホでは画面が小さいので動画鑑賞にはやはり画面の大きいタブレットじゃなきゃ、というわけで、娘の使っているiPadを強奪してきた。
最後は本。スマホ登場以前の暇つぶしツールといえばやはり小説なのである。
ちょうど先日京極夏彦著の百鬼夜行シリーズの最新刊が出たところであり、このシリーズを完読していた私としてはあの面白さとあの分厚さは退屈な入院期間にうってつけなことはお見通しであった。
というわけで早速本を読むことにする。
厚い。厚すぎる。
昔から「人が殺せる」と言われるほど分厚かった京極夏彦氏の本ではあるが、ここにきてさらに厚みが増している。もうこれは半ば兵器である。多分輸出できない。
しかも当然重い。手が疲れる。横になって読んでも厚すぎていい感じに読めない。これはお利口さんの私にとっても想定外であった。
さらに想定外の出来事は続く。
この百鬼夜行シリーズを読んだことのある人は解ると思うが、基本的に内容は陰鬱である。一応ミステリなので悲惨な死に方をする人間も沢山出てくるし、オカルトチックなので妖怪だの幽霊だのの話も沢山出てくる。
病院で読む本ではないのである。
明るいうちは良かったが、日が暮れてくると、病院の中ということもありなんだかこちらも陰鬱になってきた。
本来相部屋であるこの部屋も、実質個室となっているのですごく寂しい。むしろ3人部屋である分、余ったスペースががらんとしており、寂しさを助長しているのである。
午前中に実質個室、実質個室と小躍りしていた自分を恨めしく思うと同時に、入れ替わりに退院していったあのオッサンが今は恋しい。
そんなこんなで夜の9時になった。
実は今回、副鼻腔炎の手術の他にもう一つやることがある。
それは睡眠時無呼吸症候群の検査である。
自身のイビキ被害を考慮して個室を希望したのは前述の通りだが、その際に看護師さんに「うちの病院は睡眠時無呼吸症候群の検査もできますよ。良かったら入院時にどうですか」とご提案をいただいていた。
私は20代の時から体重が20kgも増加した影響からか睡眠時のイビキが酷く、家族からも「とてもうるさい」と好評を博していた。
肥満による酷いイビキは仰向けで寝る際に喉ちんこが喉の奥まで垂れてくることが原因であることが多く、気管が塞がれることから睡眠時に呼吸が止まってしまうことがある。
呼吸が止まるとその都度「ブェッフォ〜」と素潜りから上がってきた海女さんのようにあわてて息を吸い込むので、無意識ながらも睡眠が途絶えてしまう。
睡眠の中断が夜中に何度も起きると寝不足となり、昼間に極度の眠気を感じたり、著しい集中力の低下を引き起こしてしまう。
以前より昼間の寝不足は感じていたし、取り敢えず睡眠時無呼吸症候群に該当するかどうかだけでも把握しておきたいので、ついでに検査を受けることにしたのである。
検査には睡眠中の呼吸数や血中酸素濃度を測る器具を装着する必要があるので、この病室とは別の病室に移動する必要があるとのことだった。
移動先は個室であった。
そりゃそうである。この検査をする人は大抵イビキが酷いので相部屋で検査するはずはない。
個室には室内にトイレ、シャワー、ソファーなども完備されている。相部屋とは大違いだ。
本来であれば私のような農家が立ち入れるはずもないブルジョワの世界。これはまるでかの高級マンション「ラトゥール」である。ラトゥール熊本である。
私はこの豪華絢爛な景色に居心地の悪さを覚え、早く自分の住まいの相部屋である「コーポ熊本」に帰りたいと願ったが後の祭り。
すぐに検査技師がやってきて検査のための管やらセンサーやらをつけだした。
てっきり鼻の呼吸量と動悸、指先の血中酸素濃度くらいを測るものと思ってたら、予想以上につける装着が多い。
全てつけ終えたらこういう出立ちになった。
自分、死んだのかと思いましたね。思わず香典包んだもんね。
どう見ても集中治療室内の重症患者。
ここまでするからこそはっきりと症状が解るのでしょうか。
というわけで消灯。
寝なきゃいけない検査なのに、色々な装置をつけられている上に普段の環境とは異なるためなかなか寝付けない。
しかも読んでいた京極夏彦の小説とこの病院という舞台設定がオカルト感を増幅させ、43歳にもなって、やたらと怖くなってきた。
いや、いる。
これは気のせいでない。
この個室の中に確実に幽霊がいる。今の私には分かる。見えずとも感じるのだ。
霊感の強いほうではないが、京極夏彦と病室、そして明日鼻の中を削るという緊張感という様々な要素よって加速されたオカルトパワーが私の内に秘めた霊感を普段の800%ほど増幅させているのだ。
数まで分かる。
今この個室内に、きっかり20体の亡霊がいる。
1体が白装束の女、3体が落武者、4体が農民、残り12体が元モデルの女。元モデル多いな。
でもよく考えるとこの病院は耳鼻咽喉科で別に病院内で死ぬ人もいないわけで、そんな亡霊がたくさんいるはずもない。
そう思った途端、亡霊の気配が霧散して綺麗さっぱり消え去ってしまった。
消える瞬間「・・・ありがとう」と聴こえたような気がしたが、多分完全に気のせい。
そんなこんなしているうちにようやく眠りについた。
明日は手術である。
続く。