交代劇
illustrated by スミタ2022 @good_god_gold
業績がかなり悪化していることはわかっていたものの、さすがに社長が解任されるとは誰も思っていなかったので、突然の報せを受けた社内には大きな衝撃が走った。
一般社員の間だけではなく、最上階の役員フロアでも真偽のわからない噂が飛び交う。
「まさか取締役会を通さずにオーナー権限で解任するとはな」
応接に集まった役員の一人が低い声を出した。
「どうやら新しい社長は茂禄子さんらしいんだが、何か聞いているか?」
「いや。初耳だ」
まだ誰も詳しい情報を持っていないのだ。
「あんな箱入り娘に社長なんて務まるはずがないだろう」
丸古専務が荒い鼻息を吐いた。
「いくらオーナーのお嬢さんだと言っても経営は素人も同然なんだからね」
「まったくです」何人かが同意する。
「ITベンチャーだか何だかを少しばかり囓った程度の、所詮はお嬢様経営だよ」
副社長が吐き捨てた。
「実は私は、副社長が昇格されると思っていました」
営業部長の井間賀がそう言っていやらしく揉み手をしてみせる。
「いやいや、本来、それは取締役会の決めることだからな」
明らかなおべっかだが、言われた当の副社長は満更でもない顔になった。
「まあ、とりあえずは何が出来るのか、お手並み拝見ってところじゃないか。ははは」
「ですな。はははは」
このあと午後から、新しい社長の出席する初めての取締役会が開かれることになっているのだ。
「いっときのお飾りだと思って我慢しましょうかね」
「どうせあっというまに尻尾を巻いて逃げ出すさ。うけけけけ」
「そうそう。どれだけ実力があるかは知らんが、どだい箱入り娘には無理なんだよ。ひひひひ」
実績や能力の問題ではなく、そもそも若い女性が社長になることが気に入らないのだ。
応接のソファにどっしり腰を下ろし、秘書に淹れさせたコーヒーを啜りながら役員たちは互いに意地の悪い笑みを浮かべ、ずっと雑談を続けていた。
昼を過ぎたころ、不意に役員専用エレベータのドアが開き、若手社員がフロアに入って来た。社長室付きの男性秘書たちだ。
「なんだね、それは?」
秘書は二人がかりで大きな箱を抱えていた。
「取締役会までにこれを会議室へ置いておくよう指示されまして」
一人が息を切らしつつ答える。
「実は社長が入っているんじゃないか」
誰かが軽口を叩くと役員フロアのあちうらこちらから笑い声が上がった。
「まさか文字通り本当に箱入り娘だったりして。あはははは」
「だったら箱入り社長ですな。はははは」
「でしたら、せいぜい箱の中だけで活躍していただきましょう」
「わはははは、それはいいですな。それじゃ我々は昼にでも行きますか」
汗を垂らしながら会議室へ箱を運び込む若手を横目に、役員たちは連れだってエレベータへ乗り込んだ。
「専務、そろそろ会議のお時間です」
担当秘書に告げられた丸古は、面倒くさそうな表情のまま新聞を傍らに置くと、のっそりと立ち上がった。昼食後はお茶を飲みながら新聞を読むのが日課になっているのだ。
「それじゃ行くとするか」
「はい」
フロア奥にある役員用の会議室に入ると、先ほど若者たちが運び込んだらしい箱が三つ、テーブル中央にどんと置かれていた。
「あれ? なんで三個もあるんだ?」部長が首を傾げる。
「どれに社長が入っているのかを当てさせるんじゃないのか。はははは」
「バカバカしい。子供じゃあるまいし。だからお嬢様なんかに社長をやらせちゃダメなんだ」
まだ誰も座っていない社長席をちらりと見ながら、副社長は苛ついた声を出した。
やがて秘書たちが会議の資料を配り始めた。見れば時計の針はまもなく十四時になろうとしている。
「あの、茂禄子さん。よろしいでしょうか」
役員がそれぞれの席に着いたところで、役員秘書の一人が箱に向かって話しかけた。
「茂禄子さん。まもなく会議ですが、ずっとそのままでいらっしゃるおつもりですか?」
「ふん。箱の中にいたいのなら、いさせてやりなさい」
丸古は秘書にもういいと顎で指示を出す。
「いつまでも箱入り気分じゃ困るんですがねぇ」
「はははは。まったく、これだからお嬢様ってのはなあ」
「まあ、自信が無いのでしたら、へへへ。すぐに解任して差し上げますからご安心ください、へへへへ」
役員たちはニヤニヤ笑いを浮かべっぱなしになっている。
副社長はあいかわらず苦い顔で箱を見つめていた。
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