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220130「福間創さんという"ご近所さん"の話」

半年以上ぶりのnote更新。
幾つか書きたい事が貯まりつつも、新年の挨拶もしそびれつつも、真っ先に書かないといけないと思った事。

音楽家の福間創さんが2022年1月1日に逝去された。

1月7日に公表されてもう三週間以上経つけど未だにちょっと実感が湧かず、まだ抜け落ちのある宙ぶらりんなような感覚が少し続く。それでも触れておきたかったので記す。
(だいぶ主観的だと思うので読みづらいかも知れませんがご了承ください)

その1

福間さんを知ったのはコンピCD「トロイの木馬」に参加してたControlled Voltageというユニットから。はっきりと認識したのはいわゆる改訂期のP-MODELで、アルバム「舟」で「あれ?CVにいた人だ」と察知した覚え。
僕のP-MODEL自体の聴き始めは16歳(1993年)の頃に買った「big body」からで、解凍~改訂期の境目のDIW/旬レーベルあたりからがリアルタイム。Julia Bird re-mixとかASHURA CLOCKあたりに凄く嵌った。
(余談だが、マキシシングル「Rocket Shoot」は自分が人生で一番多く聴いたCD)

初めてライヴを観たのは3人体制になってからのP-MODEL「非局所性LIVE」、平沢進「WORLD CELL」。つまり、初めて生で体感したP-MODEL/平沢ソロどちらにも福間さんはステージ上の人。

その2

福間さんとの交流は京都に移住される少し前くらいから。twitterのDMで京都の情報とか土地柄なんかを尋ねられたのが最初だったと思う。

茨木のD barというスペースで「Flowers」バルクリリースあたりのトークイベント時に資料として卒業アルバムを提供してたのが福間さんの同級生で、しかも僕の音楽友達だった(電子音楽とは無関係の人で、そもそも福間さんもその友達もお互いが音楽活動してる事自体まったく知らなかったらしい)という共通項まであって驚いたり。

20150627 LIVE IN HEAVEN

個人的にP-MODEL以降の活動もそれなりに追っててSOYUZ PROJECTも好きだったけど、本名名義になってからの作風が本当にツボで、「senses」を初めて聴いた時にはぶっ飛んだ。

万博記念公園の鉄鋼館ライヴ「LIVE IN HEAVEN」は非常に楽しかった。
そういえば、ライヴ当初は前の方で観てたのだけど音が気持ち良くて途中から程よくスペースのあった後方に移動して踊ってたら、終演後に福間さんのお姉様に「凄く気持ち良さそうにずっと踊ってた人」として目についたようで、終演後にたまたま同じタイミングで帰ろうとされてた福間さんの御家族の皆さんにもご挨拶できたのが強く印象に残っている。

その後のライヴに全て行けたわけではなかったのだけど、小西健司さんとの共演ライヴ「LIVE ambi-valance 20161126」、京都urbanguildでの中野テルヲさん・サワサキヨシヒロさんとの3マン、京都BlueEyesでの小西さん・横川理彦さんとの共演ライヴ、龍岸寺の「LIVE IN HEAVEN II」は堪能した。

ちなみに、僕自身が福間さんの活動に目立って関わったケースはなかった。「ambi-valance_extra」で使われた太陽誘電のCD-Rを差し上げたりしたくらい(僕が個人用に買い溜めてたものの用途がなくなってしまっていた未開封の在庫。むしろ使ってもらえてありがたかったくらい)。
思えば、京都に移住されて以降「こんな事できる人いない?」「こんな場所知ってる?」等とちょくちょく相談を受け、時に動いた事もあった。タイミング等あってマッチングには至らなかったけど。

その3

20181230 餅つき at Green&Garden (ちなみに、左のニット帽の方は写真家であり元・裸のラリーズの中村趫さん)

時々、「最近どう?」とLINEが飛んできて情報交換とかやり取りしては「またお茶とかお酒でも~」等と話していた。
振り返ると、福間さんなりのタイミングで近しい方に近況を尋ねる事があったような印象を受けている。

全然頻繁ではなかったけど、時にお茶したり、heliosphereにお邪魔して機材見せて(少し触らせて)頂いたり、お酒を酌み交わし取り留めない話をしたりした。
いつぞや僕がSNSに何気なくアップした自作のおからナゲットに随分と反応されたもので作りに行ったり、僕が旅行行った折のお土産を届けたり、「もし持ってたら貸して〜」と言われてP-MODEL「Bit Map」のDVDをお貸ししたり。

↑ は「せっかくだしヘリオス来訪記念に撮らせてよ~」と言われ、撮って頂いたもの(2019年4月)。右奥に見えるモジュラーシンセがコンパクトなので、モジュラー導入初期が窺える。

20190426 とあるカフェにて

heliosphereは福間さんの写真やツイートから窺える佇まいと地続きのように思えて、とても居心地が良かった。
お会いした時は本当に世間話をしていた感じ。東京時代の話もそれなりに聞かせてもらったり、お互いの物事の捉え方とか考え方とか、いろいろと。

ご病気の話も、一部である程度公表された少し前くらいに聞かせてもらったんだった。そんな事もあったからか、自分が耳の手術で入院した時には入院生活のレクチャー的なものを教えて下さったりもあった(いかに至れり尽くせりで快適だったか、とか…笑。ちなみに、自分も概ね快適に過ごせた経験)。

福間さんとの最後のやり取りは、去年12/26の「光合成通信」登録者向けライヴ配信でのnoteとvimeoの連携について、配信の前後日にあれこれと。
そして、やっぱり「最近どう?」とも。
福間さんのカメラ(Sigma fpとdp3 quattro)に感化されて僕もdp2 quattroを買っていたもので「(福)カメラどう?」「(小)難しいですね~」「(福)修行感覚で!」とか、少し前に手に入れたnorns shieldというコンパクトな機材の事を少し話したら興味示されて「またデモしに来て!」とか。

その4

いまだにこちらから旅立たれた実感が無さすぎるくらい無く、今でもふらっと連絡が来るんじゃないかという感覚になったりもする。
カメラとか機材とか食事とかもっと話したかったなあとか、何より次の創作を目の当たりにしたかったなあとか、とめどなく考える瞬間もある。
けど、それよりも何よりもめっちゃ面白くて素敵なご近所さんと出会えたのが幸せで楽しかったなあという実感が日々強くなる。

音は長年聴きつつも交流は数年でしたが、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
これからも変わらず音と写真と映像と言葉を味わいつつ、いつかまた会える事を楽しみにしてます。

あー、やっと言いたかったこと言えた。

20150627




電子音楽や諸々を創作しつつ、反射された記録(活動、思考、日記など)を概ねランダムに残しています。もし何かの拍子に気に入っていただけたら幸いです。