鹽竈の神仏と多賀の城と大地震と大津波
鹽竈と多賀城
お話するだけで全身の毛穴が開く感覚がするのです・・・と
それでも
聴いてもらいたい
と
自分は先日
ある方から
いわれました
ね
トラウマの事は配慮しないと十二分ね
ですから
そうして当人が主張しても
調整はします
ほんとに
自分に打ち明けてもいいのですかと
質問を何度かします
もしも
フラッシュバックのよな
症状性の現象があるなら
それは
注意がお互いに必要だから
NEEDSですね
人の
欲望とか欲求では無い
のです
必要
NEEDS
ウオンツでは無い
ニードです
その複数
どうしても
聴いてほしいという気持ちが強いとしても
冷静
クールMINDは保持して
ほっとハートを意図するが
でも
人とは
不完全なそのものなので
理想や理念のモデルの通りに成る事はまずないのです
という現実がある
REALですね
ですから
配慮をお互いにします
それを心配りといいますね
荘厳
を養う事です
セレニティです
セレトニンの事を知っているなら
安寧の為の具体行為ですね
どうしたら
興奮では無い
セレニティを保持して
ソブラエティをキープして
対話が可能でしょうかね
感情
気分は当然ある
リフレクションはいつでもある
のです
信
とは
慈愛
滋養
仁慈の
事ですよ
確実にある事
善徳を保持する事です
操作する事ではない
そのまま
受け止める事なのです
つまり
傾聴して
その事白を事実として
誠実に向き合いますために
そのままを受け止める事のその具体の行為実践ですね
尊重といいます
尊敬では無いのです
荘厳とは
そういう
立場を対等にして
そのまま相手の事白事の事を
そのまま
汚れ無い器に
受け止める行為実践を一つ一つ
行為する事です!
2024年3月11日
13年経過したのです。
14時46分
自分は子らを早めにお風呂に入れてその後皆で
蜜柑やお茶でゆっくりしていた時でしたね
南東から北西への物凄い横滑り
その直前に
あの
警報
FMを聴いていたのです
そして緊急地震速報といいますのは
初めて聞いた
ですから
テストだと
おもっていた
が
ほんとにあの数秒後
大揺れ
正に地震でしたね
まさか
大津波の被害があの時から10分で陸地に到着していたとも知らないまま
子らの不安を受け止めながら
自分もどうなってしまったのか
二度の大揺れで
停電だから
あーーあ
大事だとそう思った次第
あの年は
秋田の方面は
物凄い大雪でしたから
ね
3月でもまだ寒いし
で夕方になっても電気の回復ないし
トイレも問題あるので
お風呂に直ぐ水を溜めたりして
兎に角
排泄
トイレ
の問題と
不安を恐怖など抱えていても
そのまま安心を確保すための事を一番先に思慮するので
もっとも書棚などは事前にみな倒壊しないように
完全に予防していたので
その点はよかった
何も崩れないし
一応
秋田は被害はあまりない地域だったし
他県ではかなりの被害でしたからね
で
夜は
市役所
もっとも湯沢市で危険の程度の高い建物でなかったのかな
あの下で
夕方でも町の電気もないから
夕日の夕刻の雲の空です
そして
自家発電装置で知人の公務員がちょうどいはってね
質問した時は
火力発電所もだめだという事だった
東北全域が停電だと
そう教えてもらう事が出来た
その日は余震もあるし
子らは不安ですよね
寒いし
石油のヒーターしかない
兎に角
火事はおこしてしまったら
子らは危ないし
ガラスなどで怪我も危険過ぎますしね
いろいろな安全対策して
暮らす事なので
石油ストーブは無い
ゆえにその後すぐ
石油ストーブを購入した
もっと強い地震の到来があっても
煮炊きでもできるしと
明るさも確保できるしね
と
備えあれば憂いなしは実際そうですよ
自分はいつも心に懸けているのですが
食品なども保管できるもの
これはね
日本海中部地震なども経験しているので
自分は
あの時も
大きな揺れ
しかも津波です
日本海で
津波など来ないといいまして
流布して
みな多くの人が信じ切っていたのですよ
で
遠足の子らも教師も津波で
さらわれたり
ガイドの人が大丈夫といいまして
そのまま逃げないでいた
スイス人の夫妻は
男鹿半島で妻の方がそのままするっと波に飲まれてしまうのです
一人は残り
一人は取り去られた
そのままでしたね
今
彼女の為に
あのガイドさんは
聖母マリアの像を建立し
弔い
ましてね
男鹿の水族館の近くですしね
ずーっとあの時の事を
悔やみまして
しかも
償いをと意図しているという事でした
@@@@
鹽竈や
多賀城は
海が直ぐ
で
崖がある島などの土地ですが
高台に
多賀城の建築と鹽竈の社殿がある
物凄い
階段を202段を
昇るのですよ
その門前は
水路になっていたそうだし
多賀城は
砂押川があり
あれも1300年前に
近江地方から派遣されてきた人々が
構築した堰の川だそうだし
水路ですよね
物資や人の運搬のために
計画的に構築しているのは
理解できるし
もっとも高い台地の部分に
いわゆる古代の城塞ですよ
囲い地で
その北東に
鬼門とかいいますが
塩土翁の神として祀る事ですが
多賀とは
近江の多賀だそうだし
イザナギ
イザナミ
を夫婦神ですね
たが
と云う事は
輪っかなので
竹の
𥶡かな
と思いますけどね
貞観の大地震でも
相当な被害です
おなじく
清和帝です
30歳で
みまかる
水尾帝
あの時は大勢死亡したのですよね
やはり
富士山
鳥海山
九州地方の山の噴火
戦争
紛争
疫病
洪水
などなど
物凄い数の災難艱難災害があった時
貞観の治世とは
すこぶる良い政治だ
そうだ
まつりこと
鳥海山は
大物忌主に
神の階級をどんどん上位に
して
贈るのでね
鎮まってもらいたいから
しかも源朝臣融(みなもとあそんとおる)さんは
六条七条界隈の
屋敷に
鹽竈の藻塩の焼きを再現していて
しかもその浪速の潮を舟で運ばせて
庭で
設定して
稚貝や稚魚など放生していますので
これを詩にすは
正に
弔いの意味だとおもえますがね
清和帝は幼少期におじい様の藤家から傀儡のようですし
で
国内に災害などは
全部
天皇自信の問題があるからこそと
判断されてしまうから
即座に祈る事
命令をしているし
もっと具体な支援策もある次第だ
災害の状態を把握すために
役目を定めて
派遣しているしね
@@@@@
当事者
薬を取りに帰る事で
津波に飲まれたとか
ある次第だ
また
油と水が多賀城の砂押川に10分後くらいで到着したとかで
さらに
高台でも地割れであったとか
物凄い激震であって
一歳のときの記憶を今でも保持している人もあるそうだし
地域の皆さまが
常日頃から連携して
災害の対策と共に
地域の福祉を思案していた地域の人々が
全員
避難して
その生命を保持しているし
そうではない地域では
やはり
絶命した方もあった
何がその命運を別けるか
ですがね
神を怨む方もあるのはそうだろうと思いますけども・・・
神とは沈黙の主だし
丸い鏡に向かい
何をみなさまご祈祷申し上げるのかね
私的な内容は秘匿の一番であるから
和賀の君の事もあるね
鹽竈とはそして
和賀の君とも密接です
それはあんまり知られていないのです
和賀江とかね
江の島と
和賀江島の事なども
関連はあるのですよ
海の技能者
海部とか
天部などといいますけども
船
は
たけいかつち
ふつぬし
クナト
久那斗
北の空の
星は
ポーラスター
これはね
妙見としてあるけども
魁とかもあるしね
不動の存在だから
船を運用する人には
命の星ですね
地図
は
その内容は
マンダーラと
サンスクリットではいいますし
航海の地図
陸上の地図
空の地図
虫の目線
鳥の目線
人生の地図
エコロジカルシステムのマッピングもあるしね
家族関係地図などもあるし
社会システムの資源地図もある
それぞれの場所とどんな機能や役割など具えているか
です
具備具足を事知る事こそ
重要で
自分の心身を守護保護防衛とは
具体ではないと
価値を発揮しない
価値を
価値化する事を実地で学ぶ
ことも重要です
避難のルートなど下調べとか
想定する事
最悪事態に成る場合の事例も検討するなど
シミュレーション
を
違う指標で
いくつも実践して
計る事も重要ですね
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