リンデン 菩提樹の通路で出会ったから
ぼうーだいじゅ ボウディサトブハー
ボーディサットバ
bodhisattva
菩薩
そう漢字で表記したのは
ブラフマの意向を悟ため
の
意向を保持して
受け止める事を業して行ったということだ
Buraphuma
ふーっと生きるための息を吹きつけた
地上に
そして
人はクリエイト
クリエイターを
そう
アーリアと自称する人たちは
呼称するんだ
世界とは
ベルサス
ユニベルサ
UNI
Versa
いろいろな渦巻のある事だ
八雲
起きて
更に
雲の立つ事だ
世界にはそうして
世界を形成する過程がって
いま
人が世界中に
出会いの仕組みがあるから
新しい芽吹き
芽出度し
と云う事なんだ
どうして
それを知らないの
種子は
小さい
でもね
もっと小さいのだ
人の種子は
0.1ミリメートルなんだ
自分も
かつてそうだった
そこから
胎内
母
生命の宿る場所で
育まれた
養われた
なぜ
それを
記憶しないのか
いま
そうして
操作する事しか頭脳に無いのは
なぜなんだ
DESIGN
の
通りに
全て
実現しないと
気分を侵害し
感情は破天荒になって
荒くれ者として
鬼のような
その形相は
こわいじゃないか
自分自身が
なぜ
ゆるす
ことを
意図し
意識しない
相手を
思いとは
慈愛を
満タンにいつまでもしていること
いつでも
仁徳を
贈る
贈り物の
それを
世話するのだぞ
それこそ
シャリテといい
愛徳なんかではないんだ
難しい事をいうようだが
全く
漢字とは違う
道徳とか
儒教の思考の認知行動では無いのです
条件は無いのです
ただ
価無い事
無限の量の
生命の生と
それは
光の切りなしの事
正に
木蔭にある燃え尽きない炎の光の仁徳のそれ
滋養です
慈しみ
仁慈
滋養
慈愛
仁徳
決して
枯れない木
涸れない井戸の水
それをどうか
知って欲しい
あなたには
優しいという意味は
迎合する事ではありえない
相手の
何でも
言いなりになって
そうしてあげること
では無い
それは単なる
奴隷と主人だ
しかも使役者の事
正に
どこまでも
主人と奴隷の
関係は
奴隷根性で埋め尽くされてしまう
大きな主人の下の配下は
その大きな御主人様の
いいつけを常に守らないなら
処刑されてしまうんだ
それは
本当の御主人とは言えないのに
いつまでもその御主人と呼称されて
自己陶酔しているその方は
そのつもりで
今の座にあるが
そのまま
終りを自分に
迎えて
あとから
歯噛みをしてしまう
オソロシイ
闇のその間に
永久に
いる事を
ご自身で
選択してしまうのです
あわれみとはその姿を
いたましいと
おもいいやるからこそ
真人といい
真秀といいます
まだ理解できないのは
その方の心根にある僻み
なのですから
詳しく
消えない炎で
照らして観て御覧くださいまし
兎と共に
月夜の晩
リンデンブルグのひじり