ゲーミフィケーションと面白がり 〜面白くするということ、面白がるということ〜
ゲーミフィケーションをまるで魔法のように考える人がいる。
今面白くない何かがあって、ゲーミフィケーションをほどこすと誰もが夢中になるほど面白くなる…という期待感。
これは今流行りのDXにも同じ構造があり、DXという魔法の杖を振るうと、あらゆる課題が解決すると期待する。
ゲーミフィケーションもデジタルトランスフォーメーションも提供側の「変える」ための不断の努力と覚悟、そしてそれを「使いこなす」ユーザーのリテラシーが相まってはじめて意味をなす。
変える覚悟とは?
往々にしてゲーム化してこどもでも楽しく取り組める!とかデジタル化して業績改善だ!とかいう時、元々の仕組みや提供側の考え方を変革する覚悟がない。
そんなゲーミフィケーションやDXはユーザーに響かない。
面白くする、便利にする、ということは、時にこれまでの価値観を否定することも含む作業になる。提供側が変えること自体を楽しむレベルでないとなかなかゲーミフィケーションやDXは進まない。
使いこなす≒面白がる
ユーザーは面白い、便利なサービスを最大限享受するためには、面白がる基礎体力が必要になる。
良いサービスは、本気で作った提供側の意図をユーザーが本気で使いこなし、時に提供意図を超えて使うことで磨かれてより良いサービスとなる。
能動的にサービスを使う時に必要なのはまず「面白がる」こと。
新しい何かと出会いたい、新しいことを知りたい、当たるしく何かができるようになりたい、そんな思いを持つことでユーザーはサービスを「面白がる」ことが出来る。
こどもの時は色んなことに疑問を持って尋ねたり、なんてことないゲームで盛り上がったり、勝手にルールを追加して面白くしたり、面白がる体力が無尽蔵にあった。
なのに、大人になるにつれ、面白さより、格式や周囲の反応やTPOを気にして面白がる体力がどんどん失われていく。
面白くすることを社会の是として、みんなの面白がる体力を取り戻すことで、サービスを提供する側も、ユーザーも幸せな社会にしていきたい。
アソボロジーは人を「面白がり」にするために活動しています。
なぜならその方が面白いから。